霊枢勉強会報告
報告霊枢勉強会報告 『黄帝内經靈樞』 口問(こうもん)第二十八・第十一章NEW
講師 :日本鍼灸研究会代表 篠原 孝市 先生日時 :令和六年(2024年)10月 13日(日) 第43回
会場 :大阪府鍼灸師会館 3階
出席者: 会場参加者 15名
○『黄帝内經靈樞』 口問(こうもん)第二十八・ 第十一章
○01 黄帝曰。 02 人之涎下者。 03 何氣使然。
01 黄帝(こうてい)曰(いわ)く、 02 人(ひと)の涎(よだれ)下る者(もの)は、 03 何(いず)れの氣(き)か然(しか)らしむ、と。
○04 歧伯曰。 05 飮食者。 06 皆入于胃。 07 胃中有熱。 08 則蟲動。 09 蟲動則胃緩。 10 胃緩則廉泉開。 11 故涎下。
04 歧伯(きはく)曰(いわ)く、 05 飮食(いんしょく)は、 06 皆(み)な胃(い)に入(い)る。 07 胃中(いちゅう)、熱(ねつ)有れば、 08 則(すなわ)ち蟲(むし)動く。 09 蟲(むし)動けば則ち胃(い)緩(ゆる)まる。
10 胃(い)緩(ゆる)まれば則(すなわ)ち廉泉(れんせん)開く。 11 故(ゆえ)に涎(よだれ)下る。
○12 補足少陰。
12 足の少陰(しょういん)を補(おぎな)う、 と。
○口問(こうもん) 第二十八のまとめ
*「周痹(しゅうひ)第二十七」や 「口問(こうもん)第二十八」の解説は、上側をさらっとなでて終わってしまうというのが通常であろうか。 これらの篇については解説のしようがないと考えられている。 しかし、わたしはそのようには思わない。 たとえば「口問(こうもん)第二十八」 の篇全体のことを考えてみよう。 まず症状があり、治療に使う經脈(けいみゃく)がある。 当然、これらは兪穴(ゆけつ)を使っている。 現れた症状に対して、かならず病(やまい)の機序がある。 症状あるいは病名がある。 そして、それぞれの症状に病の機序がある。 そして選経(せんけい)、經脈を選ぶことや、選穴(せんけつ)、つぼを選ぶことが行われる。
*ここで病の機序を無くすとどのようになるか、 それは『明堂(めいどう)』 という書物の記述のようになる。 ただし『明堂(めいどう)』 に書かれているのは主治穴(しゅじけつ)であって主治經脈(しゅじけいみゃく)ではない。 主治經脈、主治兪穴というものを残すと『明堂』 の記述に近いものとなる。 しかし、まだ『明堂』 の記述に至るまでのものでもない。 この篇では足の經脈(けいみゃく)が書かれている。 足の經脈(けいみゃく)には、たくさんのつぼがある。 一つの經脈にもたくさんのつぼがあり、どのつぼを使うのかが問題になる。 たとえば、足の少陰(しょういん)という經脈を補(おぎな)うと言っても、これでは問題は解決しないのだ。
*この時にどのように考えるのか。 ここでの考え方には二つある。 一つは黄龍祥(こうりゅうしょう)氏が言われているように、經脈(けいみゃく)の名前が書かれていたら、その經脈のつぼはすでに決まっているという考え方である。 この篇での記述は、つぼの名前を隠して經脈の名前を書いてあるという考えである。
*もう一つの考え方はこうである。 足の少陰の經脈には、たくさんのつぼがある。 その内の原穴(げんけつ)を使うという考え方である。 あれこれと考えるのでは無くて、原穴を使うのだ、というものである。
*経絡治療という治療を考案した人たちの出発点は、症状があって、病の機序があって、選穴するということでは無かった。 経絡治療を始めたひとたちが行ったのは、脈を診て、 そして経絡の虚(きょ)と実(じつ)を決め、 たとえば肺経の虚証(きょしょう)というふうに決まったら、もう症状も病の機序もなく治療に進んでいく。 この篇の第十一章、第01~12節になぞらえて言えば、 第01~03節が病名、 第04~11節が病の機序、 最後の第12節が治療に使う經脈(けいみゃく)を選ぶということであるが、ここで経絡治療の人たちが採った方法は、 第01~11節のプロセスを脈診による經脈(けいみゃく)の虚実の別に置き換えたというものである。 經脈の虚実に置き換えて、たとえば肺経虚証と診断した場合には、第12節にて言っているように使う經脈がすぐに出て来るのである。
しかし、ここにまた難問が生じて来る。 次に出てくる難問はこうである。 肺経虚証(はいけい・きょしょう)の時に、肺経を補うだけで良いのかという問題である。 肺経(はいけい)を補って、では脾経(ひけい)や腎経(じんけい)あるいは陽の経脈 (たとえば「手の陽明大腸経」) はどうすれば良いのかという問題が出て来る。 もう面倒だから、ほかの經脈は考えないという考え方がひとつある。 鍼や灸を行うひとには「考えないを選ぶ」、そんなこともあるように思う。
経絡治療を考案した人たちも、經脈の中からひとつが選ばれた時に、どうしたら良いのだろうと考えたに違いない。 その時、選ばれて出てきた經脈(けいみゃく)の中から原穴(げんけつ)を使うという方法を採ることも出来よう。 そういう考え方もあったろう。 他の考え方としては、選ばれた經脈の中のどれかのつぼを、現れている症状に合わせて、たとえば、症状が涎(よだれ)であったら、選ばれた經脈の中から涎(よだれ)の主治に使えるつぼを探して、そのつぼを使うということも考えられたであろう。 頭が重いという症状があったとして足の少陰(しょういん)の經脈があらかじめ選ばれていたなら、この經脈に所属する頭の重い症状を主治とするつぼを探して使うということも考えられたと思う。 つまり主治病症でつぼを選ぼうということも、ひとつ考えられたと思う。
*ここまでにわたしが言ってきたつぼを選ぶ方法は可能性として言ったわけであるが、現在に残っている選穴論、つぼの選び方を見てみると、まったくそれらをやってきた形跡は見えない。
治療に使う經脈(けいみゃく)が、たとえば手の大陰經(たいいんけい)、肺経(はいけい)虚証(きょしょう)と決まった時、困ったと思う。 合理的な選穴をする必要がある時に主治病症を採用しないのであれば、どの方式を使ったら良いのかは、これは迷ったと思う。 その時、もっとも使いやすかったのは『難經(なんぎょう)』という本の「六十九難(ろくじゅうきゅうなん)」という篇を持ってくることであった。 この篇を持ってくると、なにが出て来るのかといえば、經脈(けいみゃく)が決まると、つぼが決まる、というものであった。
**参考までに『難經(なんぎょう)』「六十九難」の経文を置いておきます。 句読の区切りは適当なのでご指摘はご容赦願いたい。 (松本)
**『難經』「六十九難」
六十九難曰 經言 虚者補之 實者瀉之 不實不虚 以經取之 何謂也
然 虚者補其母 實者瀉其子 當先補之 然後瀉之
不實不虚 以經取之者 是正經自生病 不中他邪也
當自取其經 故言以經取之
・参考文献
『難經集注(なんぎょうしっちゅう)周秦越人選・明王九思等集注』臺灣中華書局 発行、中華民国六十六年二月 第三版
*『霊枢』の森を歩いてみませんか。毎月休まず第二日曜午前10時から12時まで、大阪府鍼灸師会館3階です。勉強会の案内につきましては本会ホームページをご確認下さい。
次回は2024年12月8日(日)、『霊枢』「決氣(けっき) 第三十」です。
(霊枢のテキストは現在1冊の在庫があります。1冊1,600円です。受講申し込み時、または当日、受講受付けにてお問い合わせください)
(霊枢勉強会世話人 東大阪地域 松本政己)