霊枢勉強会報告
報告霊枢勉強会報告 八月特別講義 「藏象(ぞうしょう)について」NEW
講師 :日本鍼灸研究会代表 篠原 孝市 先生日時 :令和六年(2024年)8月11日(日)第41回
会場 :大阪府鍼灸師会館 3階
出席者:会員6名(会場) 一般12名(会場) 学生0名(会場)
*8月度は会場18名でした。
○八月特別講義 「藏象(ぞうしょう)について」
○はじめに (*一部を抜粋する)
05 江戸時代に 『十四經發揮(じゅうしけいはっき)』や 『鍼灸聚英(しんきゅうじゅえい)』 『靈樞註證發微(れいすうちゅうしょうはっき)』などによって〈經脈(けいみゃく)〉の概念が導入された時、〈經脈〉の実在を支えたのは、〈經脈〉の病證(びょうしょう)ではなく、〈經脈〉の流注(るちゅう)であったと私は考える。 〈經脈〉の流注とは、実は症状の出ている場所を表記するための手段であり、この〈經脈〉概念の導入によって、それまでの灸所や灸点も、その意味を変えたのである。
(当日配布資料 2ページ 05項より)
(解説)
*經脈(けいみゃく)が日本に入って来たのは、江戸時代の直前からである。 それまで經脈(けいみゃく)の概念というものは、日本ではまったく問題になっていなかった。 「藏府(ぞうふ)」はずっと問題になっていた。 その当時、經脈を選ぶための脈診などなかった。 經脈を診るためには、經脈の病證(びょうしょう)か、經脈の流注(るちゅう)か、經脈の脈診しかなかった。 經脈の病證(びょうしょう)も脈診も無いとすれば、もう流注しか無い。 わたしは江戸時代の人が考えた經脈というのは、あくまでも流注であったように思う。 しかし流注というのも抽象的なものに過ぎない。 気がめぐっているのだと言われても、どうにもこうにもならないので、おそらく、その症状の表れる場所を特定するために、たとえば「手の陽明大腸経(ようめいだいちょうけい)」のところに症状があらわれたというような形で診ていたのだろうと思う。
*もう一つ、經脈が江戸時代に流布した要因に、従来の藏府(ぞうふ)と經脈(けいみゃく)が紐づいてるのだ、ということがあったように思う。藏府(ぞうふ)と新しく日本に入って来た「經脈(けいみゃく)」は紐づいたもの、という考え方があり、それがある種の安心感を与えたのであろう。灸点(きゅうてん)や灸所(きゅうしょ)についても經脈の上に乗ることによって「藏府(ぞうふ)」まで一直線に影響を及ぼす、そんなことを考え得るので、とても良かったのではないか。
06 それでは、江戸期において〈藏府(ぞうふ)〉とは何であったか。一つは〈藏府(ぞうふ)〉は臓器ではなく、胸腹部の診察、つまり腹診の土台となる概念に転化した。 織豊(しょくほう)時代から江戸時代初期に活躍した鍼醫(しんい)・御薗意齋(みその いさい)の意齋流(いさいりゅう)がこれである。 これは当事者がどのように考えていたかはさておき、〈藏府〉を臓器から〈藏氣(ぞうき)〉に転じたものということができる。
(当日配布資料 2ページ 06項より)
07 江戸中期の古方派(こほうは)は、この不可視の〈藏府(ぞうふ)〉ならびに〈經脈(けいみゃく)〉を否定した。 一方、蘭方医(らんぽうい)は、中国医学の〈藏府(ぞうふ)〉を実体臓器と考え、それまで伝承されてきた〈藏府〉の図や論述の不正確性を和蘭醫書(オランダいしょ)の記述によって指摘した。
(当日配布資料 2ページ 07項より)
(解説)
*古方派の人たちが藏府や經脈を否定した意味も深く考えてみないといけない。やはり、藏府も經脈も見えないというところがあろうか。
「からだの中にあるのだけれど、何か得体の知れないもので、それを使って、たとえば “肝(かん)は疏泄(そせつ)をつかさどる” などと言う。 肝(かん)という臓器も見えないし、肝(かん)が一体何をつかさどっているかもわからない!」
「藏府(ぞうふ)など理屈に過ぎない!」
「經脈(けいみゃく)も目に見えないじゃないか!」
古方派の人たちはこのように言っていたかも知れない。
*古方派(こほうは)の発想というのは、基本的に触れることが出来たり、見える事が出来るものが中心になる。藏府(ぞうふ)のように見えないのに、その藏府にくっつける色々な機能、たとえば “肝(かん)は目をつかさどる” “肺(はい)は鼻をつかさどる” というような機能の説明をすることや、藏府が有する色々な働きについて見て来たようなことを言うのが許し難かったのだろうと思う。
*この古方派の感覚は、わたしも結構、良かったように思う。古方派の立場に立つかぎり、そのとおりだと思う。ただ古方派の人たちは鍼灸そのものにあまり関心が無かったというところがあり、藏府(ぞうふ)や經脈(けいみゃく)というものを誤解していたところもあると思う。正しく相手を認識すると否定はできない。物事を否定する時に必要な第一の操作は、相手を誤解することである。相手を誤解して、自分の都合の良いような姿にしないと否定というのはなかなか出来ない。 相手を理解すると否定はできない。 古方派の藏府感や經穴(けいけつ)感があって、それに向かって否定して行くということだったと思う。
*見えないものというものはいっぱい有る。直接的に見えなくても間接的に見えるものはある。見えないから駄目だというのは何となく軽薄な雰囲気がある。 見えているものが、すべてだと言えば、すっきりして良いなという感じはする。
*わたしは杉田玄白(すぎた げんぱく)たちが江戸の小塚原(こづかっぱら)で処罰を受けた人間を解体してオランダの解剖学書と合わせて歓喜したというのは、それはそれで結構なことだと思う。 しかし中国医学の藏府(ぞうふ)を実体のものと考えていたからこそ 「ああ見たことか」 「どうなんだ」 「まったく違っているじゃないか」 となったのではないかと想像する。臓器のかたちという意味ではオランダ医学の方が正しいわけである。 しかし中国医学の「藏府(ぞうふ)」というものが、もともと実体臓器だったかどうかということにさえ、想い至らなかったということはあると思う。
*多紀元堅(たき げんけん)か多紀元簡(たき げんかん)であったかが書いたものの中に、このような記述がある。彼がオランダ医学の解剖学の本とか知識とかを参照した後に「これは我々には役に立たない」と書いている。湯液(とうえき)も三陰三陽のもので診たりするので、臓器がどうであれ関係がないということであろう。 鍼灸の場合も実体の臓器を対象にして「藏府(ぞうふ)」と「經脈(けいみゃく)」を扱っているわけではないとすると 『ターヘル・アナトミア』が出てきて、『解体新書』が出てきて「さあ、どうだ」と言われても、さほど衝撃を受けなかったと思う。
*実体の臓器に関心を持つ者は衝撃を受けたかも知れない。しかし江戸時代の臨床家は衝撃を受けなかったと思う。
*『霊枢』の森を歩いてみませんか。毎月休まず第二日曜午前10時から12時まで、大阪府鍼灸師会館3階です。勉強会の案内につきましては本会ホームページをご確認下さい。
次回は2024年 10月13日(日)、『霊枢』「口問 第二十八」(後半)です。
(霊枢のテキストは現在1冊の在庫があります。1冊1,600円です。受講申し込み時、または当日、受講受付けにてお問い合わせください)
(霊枢勉強会世話人 東大阪地域 松本政己)