霊枢勉強会報告
報告霊枢勉強会報告 『黄帝内經靈樞』 五邪(ごじゃ)第二十・第一章NEW
講師 :日本鍼灸研究会代表 篠原 孝市 先生日時 :令和六年(2024年)1月14日(日)第34回
会場 :大阪府鍼灸師会館 3階
出席者:会員15名(うちWeb5名) 一般16名(うちWeb6名) 学生9名(うちWeb9名)
*1月度は会場20名、ネット配信での受講が20名でした。
○『黄帝内經靈樞』 五邪(ごじゃ)第二十・第一章
○01 邪在肺。 02 則病皮膚痛。 03 寒熱。 04 上氣喘。 05 汗出。 06 欬動肩背。
01 邪(じゃ)、肺(はい)に在(あ)れば、 02 則(すなわ)ち病(やまい)、皮膚痛み、 03 寒熱(かんねつ)し、 04 上氣(じょうき)、喘(ぜん)し、 05 汗出(い)で、 06 欬(がい)すれば肩背(けんぱい)を動(どう)ず。
(解説)
*01節に「邪(じゃ)」という言葉が使われているが、これは外邪(がいじゃ)という意味ではない。ここでは「肺を病(や)む」という意味で使われている。「邪(じゃ)」というとどうしても外邪と考えやすいが、ここは違う。
*02節の「病」という文字であるが、『脈經(みゃくきょう)』や『千金方(せんきんぽう)』という本には無い。「病(やまい)」という文字は無くても良いと思う。
*02節の「皮膚痛み」という言葉は「皮痛(皮の痛み)」や「膚痛(膚の痛み)」という表現で使われる場合もある。これらの条文を見ていくと、どうも「熱」に関するものが絡んでいるような書かれ方をしている。
*このような文章を読もうとする時、中国の明(みん)あるいは清(しん)の時代の医学や、現代の中医学を引用すると一見わかりやすそうに思う。しかしそれは、あまり良い傾向ではないようにも思う。
明(みん)の時代、『素問(そもん)』や『霊枢(れいすう)』の注解書がたくさん書かれた。明(みん)の時代の馬玄臺(ばげんだい)や張介賓(ちょうかいひん)、清(しん)の時代の張志聰(ちょうしそう)、それらの人たちが注解書を書いて『素問』や『霊枢』の意義を明らかにして来た。しかしそれらの人たちの病の解釈というものは、彼らが生きた時代の医学に則ったものである。私たちがそれに従う時、明清時代の医学の観点で文章を読むことは、どうしても避けられない。そうしたことを考えた時、それらからある程度の距離を取っていく、そんなことをしていかないといけないと思う。
**【 明(1368~1661年),清(1662~1911年) 】
*たとえば、ここにある文章の「皮膚痛(ひふ、痛む)」、あるいは「皮痛」という文章を『素問』や『霊枢』の中から探し出して、それがどのような病態と結びついているかを解釈する、そんな方法が良いように思う。
*03節の「寒熱(かんねつ)」は、からだが熱くなったり寒くなったりという感じで良い。
*04節の「上氣喘【 上氣(じょうき)、喘(ぜん)す 】」であるが『脈經(みゃくきょう)』や『千金方(せんきんぽう)』という本には、「上氣氣喘【 上氣(じょうき)、氣喘(きぜん)す 】とある。こちらの文章のほうが良いと思う。
*「上氣(じょうき)」というのは、気が上った状態を言う。さて気が上ったというのは、どのようになるのか、まずは呼吸器系に症状があらわれる。もっともよく出て来るのは喘鳴(ぜんめい)や喘息(ぜんそく)という症状である。呼吸を喘がせる状態である。咳をするというのにも欬上氣(がいじょうき)という言葉で使われるが、多いのは呼吸器系との関係である。
*「04 上氣喘」について『甲乙經(こういつきょう)』という本の篇「卷(けん)の八・五藏傳病發寒熱第一上」にこのように書かれている。
「寒熱胸背急。喉痺。欬上気喘。掌中熱。數欠。汗出善忘。四肢厥逆。善笑。溺白。列缺主之。」
【 寒熱(かんねつ)、胸背(きょうはい)急(きゅう)にして、喉痺(こうひ)し、欬(がい)上氣(じょうき)喘(ぜん)、掌中(しょうちゅう)熱し、數(しばしば)欠(けん)す。汗(あせ)出(い)でて、善(よ)く忘れ、四肢(しし)厥逆(けつぎゃく)し、善(よ)く笑い、溺(にょう)白(しろ)し。列缺(れっけつ)、これをつかさどる 】
(**「欠(けん)」はあくびのこと)
この主治症が参考になりそうだ。
*「汗出【 汗(あせ)、出(い)でて 】」というのも、ひとつの肺(はい)の病のあらわれである。
*「06 欬動肩背」【 欬(がい)すれば肩背(けんぱい)を動(どう)ず 】 :
「欬(がい)」は「喘(ぜん)」とは違う。「欬(がい)」は「ごほんごほん」と咳をする。ひとまず、ここでは咳(せき)をしたから肩や背中が動くのだ、としておくが、これはもしかしたら呼吸を喘(あえ)がせているということがあるのかもしれぬ。息苦しそうな姿勢のことを指すのかもしれない。
*馬玄臺(ばげんだい)という人はこのように言っている。
「凡邪在于肺、 皮爲肺之合、 故皮膚痛、 發爲寒熱、 氣上而喘、 汗出者、 以腠理踈也。 欬動肩背者、 以肺爲五藏華蓋、 而肩乃肺經脈氣所行也。」
【 凡(およ)そ邪(じゃ)肺に在(あ)り。 皮(ひ)は肺の合(ごう)爲(た)り。 故(ゆえ)に皮膚痛み、 發(はっ)して寒熱(かんねつ)と爲(な)す。 氣(き)上(のぼ)って喘(ぜん)し、 汗(あせ)出(い)ずる者は、 腠理(そうり)踈(そ)なるを以(もっ)て也(なり)。 欬(がい)して肩背(けんぱい)動くとは、肺(はい)は五藏(ごぞう)の華蓋(かがい)を爲(な)して、 而(しか)して肩の肺(はい)の經脈(けいみゃく)の氣(き)行く所をもって也(なり)。 】
*なぜ汗が出るのかというと、肺が守っている皮毛(ひもう)とか腠理(そうり)というものの守りが薄いからなのだ、と彼は言う。
*五藏の華蓋(かがい)とは、五蔵(ごぞう)のもっとも上にあるものという意味である。肺は五蔵のもっとも上に位置し、葉っぱみたいに広がっているという図形的なイメージがある。しかも肩の部分には肺の経脈(けいみゃく)がめぐっている。
馬玄臺(ばげんだい)は、「欬(がい)して肩背(けんぱい)動く」理由に、これを上げている。しかし、この解釈はよろしくないと思う。
「肩背動く」を肺は五蔵の華蓋(かがい)だからと、ましてや肩背の流注(るちゅう)まで持って来ても、これはちょっと、いかにもという感じがする。
*『素問』と『霊枢』の中から「肺病者(肺病む者)」という文章を上げる。
『素問』藏氣法時論(ぞうきほうじろん)第二十二 「肺病者。喘欬逆気。肩背痛。汗出。」
『素問』標本病傳論(ひょうほんびょうでんろん)第六十五 「肺病。喘欬【 肺の病は喘欬(ぜんがい)なり 】」
『靈樞』五閲五使(ごえつごし)第三十七 「肺病者。喘息鼻張。【 肺病む者は、喘息鼻張(びちょう)する 】」
*「鼻張(びちょう)」は鼻を開いてとても苦しそうに息をすること。
*『霊枢』の森を歩いてみませんか。毎月休まず第二日曜、午前10時から12時まで大阪府鍼灸師会館3階です。勉強会のご案内につきましては本会ホームページをご確認下さい。
次回は2024年 3月10日(日)「癲狂(てんきょう)第二十二」に進みます。『霊枢』は続き物でもないので、どの篇でもご自由に受講頂ければと思います。
(霊枢のテキストは現在2冊の在庫があります。1冊1,600円です。受講申し込み時、または当日、受講受付けにてお問い合わせください)
(霊枢勉強会世話人 東大阪地域 松本政己)