公益社団法人 大阪府鍼灸師会

素問・霊枢報告

霊枢勉強会報告 令和五年六月

講師 :日本鍼灸研究会代表 篠原 孝市 先生
日時 :令和五年(2023年)6月11日(日)第27回
会場 :大阪府鍼灸師会館 3階
出席者:会員20名(うちWeb10名) 一般24名(うちWeb14名) 学生7名(うちWeb7名)
*6月度は会場20名、ネット配信での受講が31名でした。

○『黄帝内經靈樞』 經筋(けいきん)第十三・第九章

○01 手の陽明(ようめい)の筋は、 02 大指(たいし)の次指(じし)の端(はし)に起こって、 03 腕(わん)に結(あつ)まり、
(解説)
*經筋(けいきん)は古い經脈(けいみゃく)の流注、つまり經脈(けいみゃく)が三陰三陽に分類された、まだ独立した一本一本であり、「環(たまき)の端(はし)なきがごとし」というような互いの関係性が与えられていない段階の經脈(けいみゃく)をもとにして作られた考え方である。それがこの「經筋篇(けいきんへん)」と言える。
そういうこともあり經脈(けいみゃく)と經筋(けいきん)の流注は類似している。手の陽明(ようめい)の筋の流注も手の陽明の經脈(けいみゃく)と同じように、大指の次指の端(はし)に起こり腕(わん)に結(あつ)まる。


○04 上(のぼ)って臂(ひ)を循(めぐ)り、 05 上(のぼ)って肘(ひじ)の外に結(あつ)まり、


(解説)
*04節の「上(のぼ)って」という表現は手を下におろした状態で手から前腕、上腕へと上がっていくことを指す。
*04節の「臂(ひ)」は前腕を指す。


○06 臑(じゅ)に上(のぼ)って、 07 髃(ぐう)に結(あつ)まる。


(解説)
*「臑(じゅ)」は上腕を指す。
*07節の「髃(ぐう)」は現代の肩髃(けんぐう)というつぼの辺りである。髃(ぐう)という時は肩髃(けんぐう)を指すというのが一般的である。隅の部分である。
**肩髃(けんぐう): 部位 肩周囲部,肩峰外縁の前端と上腕骨大結節の間の陥凹部.(『新版 経絡経穴概論 拡大版 2009年4月 第1版』 日本理療科教員連盟・社団法人東洋療法学校協会編,(株)医道の日本社発行(96ページ)より引用。


○08 其(そ)の支(し)なるものは、 09 肩胛(けんこう)を繞(めぐ)って、 10 脊(せき)を挟(はさ)む。

(解説)
*ここでは、「そこから別れて肩甲骨を通っていき、脊柱の部分で二つに分かれる」と言っている。10節の「脊(せき)を挟(はさ)む」というと、何となく脊柱起立筋のようなイメージはあるが本当にそうなのかどうか、これはわからない。經筋(けいきん)というのが解剖学的なものをどの程度反映しているのか、あるいは反映していないのか、これはまだまだ検討の余地があると思う。


○11 直(ちょく)なる者は、 12 肩髃(けんぐう)より頸(くび)に上(のぼ)る。



○13 其(そ)の支(し)なる者は、 14 頬(ほお)に上(のぼ)って、 15 頄(きゅう)に結(あつ)まる。

(解説)
*15節の「頄(きゅう)」というのは頬骨(ほほぼね)の部分である。
*張介賓(ちょうかいひん)は、「手の太陽、觀髎(けんりょう)穴の分」だと言う。


○16 直(ちょく)なる者は、 17 上(のぼ)って手の太陽(たいよう)の前に出て、 18 左角(さかく)に上(のぼ)って、 19 頭(かしら)を絡(まと)い、 20 右頷(うがん)に下る。

(解説)
*18節から20節までの文章について兪正燮(ゆせいしょう)という人はこのように注解を入れる。
「“案筋双出,此有‘上右角,交顛,下左頷’之筋,文脱”。 【 案(あん)ずるに筋、双出(そうしゅつ)し、これ右角(うかく)にのぼり顛(てん)に交わる。左頷(さがん)下るの筋あり、という文(ぶん)を脱す 】」
18節から20節は片側の方向しか書いていないので不完全であると言っている。


○21 其(そ)の病(やまい)、過ぎる所(ところ)に當(あ)たる者、 22 支痛(しつう)し、及び轉筋(てんきん)す。

(解説)
*21節は、流注(るちゅう)のことを言っている。ここでは手の陽明(ようめい)の筋の流注である。
*22節の「支痛(しつう)」というのは、突っ張って痛む。緊張した状態である。
*22節は『甲乙經(こういつきょう)』という本には「支轉筋痛。(支え轉筋し痛む)」となっている。


○23 肩(かた)、舉(あ)がらず、 24 頸(くび)、左右に視(み)る可(べ)からず。

(解説)
*ここでは腕が上がらず、頚を左右に動かすことができないと言っている。

*この文章を読んで「運動時痛かな」と考えることは容易である。しかし運動時痛であれば出て来るすべての病証の少なくとも九割方が運動器系のものでなければならないと思う。これはそのようにはなってはいないので運動器系と見ることはよろしくないと言わざるを得ない。23節と24節は数少ない運動器系の長文である。そもそも運動器系という発想があったかも怪しい。


○25 治(ち)は燔針(はんしん)却刺(ごうし)に在(あ)り、 26 知るを以(もっ)て數(すう)と爲(な)し、 27 痛むを以(もっ)て輸(ゆ)と爲(な)す。 28 名づけて孟夏痺(もうかひ)と曰(い)うなり。

(解説)
*(手の太陽の筋の項で以下の説明あり)
燔針(はんしん)は、焼き鍼のこと。却刺(ごうし)は『類經(るいきょう)』によれば「治(ち)は燔針(はんしん)却(ちらし)て之(これ)を刺すに在(あ)り」と読んでいるが、この読み方には無理がある。この読み方は採らないほうが良いと思う。
*「知るを以(もっ)て數(すう)と爲(な)し」というのは、自覚的あるいは他覚的な所見を見て治療の回数を決めるということであろう。
*「痛むを以(もっ)て輸(ゆ)と爲(な)す」ということについて『千金方(せんきんぽう)』など隋唐時代のテキストの中にも「阿是(あぜ)穴」という概念がある。「おして痛いところがつぼなのだ」というものである。それの先駆的なものともいえる。しかし「經筋(けいきん)」の部分だけ「痛むをもって輸(ゆ)となす」としたのか、なぜそうしたのかという疑問はある。この当時すでに「穴(けつ)」というものはあったと考えられる。それを「痛むをもって輸(ゆ)となす」とわざわざ書くことに何か意味があるのかという疑問が生ずる。「輸(ゆ)」というのは「つぼ」、治療点のことである。このように書かれると治療点として設定されたつぼが要らなくなる。患者さんのからだをおして痛いという部分が治療点なのだ、と考えるとほっとする部分もあろうが、本来の中国医学では、おして痛いところがつぼにはなってはいない。古代からの経穴書には「おして痛いところがつぼ」とは一行も書かれてはいない。
*孟夏(もうか)、仲夏(ちゅうか)、季夏(きか)という順番に季節は移る。現在の暦では5月、6月、7月頃に対応する。

次回は8月13日(日)です。
8月は年に一度の特別講義です。テーマは『経絡(けいらく)治療の脈診(みゃくしん)』。


(霊枢勉強会世話人 東大阪地域 松本政己)

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