素問・霊枢報告
報告霊枢勉強会報告 令和四年十月
講師 :日本鍼灸研究会代表 篠原 孝市 先生日時 :令和四年(2022年) 10月9日(日)第19回
会場 :大阪府鍼灸師会館 3階
出席者:会員28名(うちWeb20名) 一般17名(うちWeb8名) 学生34名(うちWeb32名)
*10月度は会場19名、ネット配信での受講が60名でした。
○『黄帝内經靈樞』終始第九・第十四章(一部を抜粋)
○01 太陽之脈。 02 其終也。 03 戴眼反折瘈瘲。 04 其色白。 05 絶皮乃絶汗。 06 絶汗則終矣。
01 太陽の脈、 02 其(そ)の終(お)わるや、 03 戴眼(たいがん)、反折(はんせつ)、瘈瘲(けいしょう)す。
04 其(そ)の色(いろ)白(しろ)。 05 絶皮(ぜっぴ)して乃(すなわ)ち絶汗(ぜっかん)す。 06 絶汗すれば則(すなわ)ち終(しま)う。
(解説)
*この章のそれぞれの脈は、基本的に足の経脈と考えて良い。それぞれの経脈の「気」が途絶えた時にどのようになるのかを述べている。(**ただし少陰の脈は手と足を指すものと思われる)
*『靈樞經校釋(れいすきょうこうしゃく)』の上冊217頁にこのような校注がある。
「“戴眼”: 眼目上視,不能轉動。 汪昂: “戴眼,謂上視。”」、 又云、「“反折”: 則角弓反張。 汪昂: “反折,謂身反向後”。」、 又云、「“瘈瘲(Chi Zong 赤縦)”: 與抽搐義同,俗稱抽風,指手足時縮時伸,抽動不止的證候。」 *以下にその要旨を記す。 戴眼(たいがん): 目が上につりあがる。 反折(はんせつ): 角弓反張(かくきゅうはんちょう)のことである。角弓反張(かくきゅうはんちょう)というのは、からだを後ろに反らせた状態をいう。 瘈瘲(けいしょう): けいれんを起こした状態をいう。 *太陽の気というのは、陽の気がもっとも多いところである。 *「05 絶皮(ぜっぴ)して乃(すなわ)ち絶汗(ぜっかん)す。 06 絶汗(ぜっかん)すれば則(すなわ)ち終(しま)う。」 ;
これに類似した文章が『素問』「診要經終論(しんようけいしゅうろん)」にある。
ここでは「“絶汗乃出。出則死矣。(絶汗すなわち出づ。出づればすなわち死す)」となっていてこちらの方がわかりやすい。「絶汗」すなわち汗が出きった状態をいう。王冰(おうひょう)という人は『素問』のこの篇において「 絶汗謂汗暴出,如珠而不流,旋復干也。(絶汗とは、汗がいっぱい出るのだが、もはや珠のようになって、しかもそれが流れることがない) 」と注を入れている。
○07 少陽終者。 08 耳聾。 09 百節盡緃。 10 目系絶。 11 目系絶。 12 一日半則死矣。
13 其死也。 14 色青白之死。
07 少陽(しょうよう)の終わる者は、 08 耳聾(じろう)、 09 百節(ひゃくせつ)盡(ことごと)くに緃(ゆる)まり、 10 目系(もくけい)絶(ぜつ)す。 11 目系(もくけい)絶(ぜつ)すれば、 12 一日半にして則(すなわ)ち死す。 13 其(そ)の死(し)するや、 14 色(いろ)青白(せいはく)にして乃(すなわ)ち死(し)す。
(解説)
*「耳聾(じろう)」: 耳が聞こえなくなること。
*「百節(ひゃくせつ)」は、からだじゅうの関節のこと。からだの関節がゆるんでからだを支えることができなくなると言っている。
*「目系(もくけい)」: 昔は「目」というものは、眼(まなこ)の中にぶら下がっているというイメージであった。目の系(つりと)と読んだりもする。その状態が絶するというのは、むつかしい表現であるが、これも目がつり上がった状態になるのだと思う。目がふさがった状態ではなく、目の状態に変化が起こるということを表しているのだろう。亡くなる人につきそっていたりした時に目の感じが変わるのがわかる。目の雰囲気が尋常のものではなくなるという感じがある。「目系、絶する」という言葉には、それが表されているのだろう。
*「色が青白くなる」のは、(足の)少陽の経脈が「木(もく)」の気と関係があるからだと思う。
○15 陽明終者。 16 口目動作。 17 喜驚妄言。 18 色黄。 19 其上下之經。 20 盛而不行。 21 則終矣。
15 陽明(ようめい)の終わる者は、 16 口目(こうもく)動作(どうさ)し、 17 喜(よ)く驚き、妄言(もうげん)し、 18 色(いろ)黄(き)なり。 19 其(そ)の上下(じょうげ)の經(けい)、 20 盛(さか)んにして行(ゆ)かずして、21 則(すなわ)ち終(しま)う。
(解説)
*陽明の気が終り絶するものは、口や目が動くという。何かに驚きやすく、しかもあらぬことを言うと言っている。(足の)陽明は意識障害に関係しているので、言葉に変化が起こるということがよく出てくる。
*「色黄」は(足の)陽明の経脈が、五行の「土(ど)」に関係するものだということを表す。
*「19 其(そ)の上下(じょうげ)の經(けい)、 20 盛(さか)んにして行(ゆ)かずして、21 則(すなわ)ち終(しま)う」:
経脈がめぐらなくて、どこか特別の場所で、上る経脈、あるいは下る経脈というものがめぐらない状態になる。しかしこの「めぐらない状態」というものは、どうもよくわからないのである。そこで注解を試みる人たちは、この文章と『素問』「診要經終論(しんようけいしゅうろん)」の文章とを校勘して「不行(行かず)」ではなくて「不仁(仁ならず)」、すなわち上下の経がしびれた状態になるという「診要經終論」の言葉を採った。「不仁」については、しびれるということではなくて、善悪を知らないことだと解釈する人もいる。それは解釈としてはどんなものかな、とも思う。
**『素問』「診要經終論(しんようけいしゅうろん)篇 第十六」より該当の文章を以下に抜粋
「其上下經盛。 不仁則終矣。」
*ここで「不仁」について、王冰(おうひょう)という人は、 「善悪を知らないことをいうのだ」 と言う。それに対して張介賓(ちょうかいひん)という人は 「痛みを知らないことを不仁というのだ」 と言う。こちらの方が一般的な解釈である。上下の経脈がしびれてしまった状態であるとしたほうが良かろう。 「経脈がめぐらず」では、うまく解釈ができない。
○22 少陰終者。 23 面黒。 24 齒長而垢。 25 腹脹閉塞。 26 上下不通。 27 而終矣。
22 少陰(しょういん)の終わる者は、 23 面(めん)黒く、 24 齒(は)長くして垢(あか)つき、 25 腹脹(ふくちょう)閉塞(へいそく)す。 26 上下(じょうげ)通(つう)ぜずして、 27 而(すなわ)ち終(しま)う。
(解説)
*齒(は)が長くなるというのは、歯茎が後退するからである。そして、そこがきたない状態になる。腹脹(ふくちょう)、おなかが張る。おなかが張るというのは上下が通じないことと同じことである。上下の気が通じないので、おなかが張るのである。
*ここの少陰は、「手の少陰の経脈」を指しているようである。王冰(おうひょう)という人の注解にもとづけば、手の少陰だということである。
*『霊枢』の森を歩いてみませんか。毎月休まず第二日曜、午前10時から12時まで大阪府鍼灸師会館3階です。COVID-19感染予防対策の下、勉強会のご案内につきましては本会ホームページをご確認下さい。次回は2022年12月11日(日)です。
霊枢のテキストは現在2冊の在庫があります。1冊1,600円です。受講申し込み時、または当日、受講受付けにてお問い合わせください。
(素問勉強会世話人 東大阪地域 松本政己)