素問・霊枢報告
報告霊枢勉強会報告 令和四年五月
講師 :日本鍼灸研究会代表 篠原 孝市 先生日時 :令和四年(2022年) 5月8日(日)第14回
会場 :大阪府鍼灸師会館 3階
出席者:会員29名(うちWeb21名) 一般18名(うちWeb9名) 学生22名(うちWeb21名)
*5月度は会場18名、ネット配信での受講が51名でした。
○はじめに
*たびたび申し上げているが、原文は『靈樞(れいすう)』の「明刊無名氏本(みんかんむめいしぼん)」というものを使って講義している。訓読(くんどく)については、おおむね慣れてくると個々の単語はわからなくても読むことはできる。
訓読には色々なやりかたがあるとは思う。わたしの考えは、江戸時代のいわゆる和刻本(わこくぼん)を使って読むこととしている。和刻本というのは、返り点の打ってある本である。返り点といっても送り仮名があったりなかったりであるが、概(おおむ)ねどのように読んでいるかがわかるのでそれを使っている。江戸時代のテキストは何種類もあるのだが、わたしが推奨するのは『類經(るいきょう)』あるいは『類經本』である。もうひとつは『寛文三年本(かんぶんさんねんぼん)』である。この三種類の本の読み方は、ほとんど一致している。これで読み方を定める。
次いでこんなことをする。『素問』や『靈樞』というものは結構文字が違っている。この違いを『甲乙經』や『太素經』あるいは『素問』・『靈樞』の色々な版本を見ながら修正していく。
そして辞書を引いたり注解書を見て言葉の意味を決めて行く。こういったことをしていくと文章は概(おおむ)ね読める。
*わたしが思うには現在のものを使うというよりも、まず江戸時代の基本的な読み方というものを踏まえて読むのが良いと思う。江戸時代の人たちは現在の私たちよりも『素問』や『靈樞』に対する知識が深かったであろう。江戸時代に『素問』や『靈樞』を読んでいた人の読みは妥当する部分が多いと思う。だから、まずその読み方で読むというのが良いと思う。まあ読んで安心してばかりではいけないので、直さないといけないところは直していく。それが必要だと思う。訓読一つをとっても、前の時代の人がやったものを踏まえて、それを使って、次を読んでいくというのが良いと思う。
○『黄帝内經靈樞』壽夭剛柔(じゅようごうじゅう)第六 ・ 第一章(一部を抜粋)
○32 病在陽之陰者。 33 刺陰之經。
32 病(やまい)、陽(よう)の陰(いん)に在(あ)る者は、 33 陰(いん)の經(けい)を刺す。
(解説)
*張介賓(ちょうかいひん)の注に従えば、このようになる。
陽病(ようびょう)が、からだの陰(いん)の場所にあるということを 「病(やまい)、陽(よう)の陰(いん)に在(あ)る者」 と言っている。さて、陽病が陰の場所にあるとは、どのようなことを言っているのだろうか。陽病がからだの内部にどんどん入って行った状態を指すのだろうか。後に続く文章 「陰(いん)の經(けい)を刺す【陰の経脈の經(けい)というつぼを刺す】」 とあるがこれの理解は、なかなかむつかしい。
たとえば手の太陰肺経の経脈であれば「経渠(けいきょ)」が經(けい)穴あるが、それを刺すということに対しての理解は、なかなか出来にくい。中国の研究論文にこの部分に言及したものがあるのかは知らない。こういうところは合理的に解釈できない部分だと思う。
○34 病在陰之陽者。 35 刺絡脈。
34 病(やまい)、陰(いん)の陽(よう)に在(あ)る者は、 35 絡脈(らくみゃく)を刺す。
(解説)
*張介賓の注によると、 「病(やまい)、陰(いん)の陽(よう)に在(あ)る者」 とは、陰病がからだの陽の場所にあるものを言う。この場合になぜ絡脈(らくみゃく)を刺すのか。また絡脈とは何なのかを考えなければならない。この場合の絡脈というのは経脈の中にある絡穴ではなくて、皮膚の表在性の血管の部分、細絡(さいらく)を刺すということなのであろう。これはほぼ間違いないものと思う。合理的に解釈しようとすれば、陽経の皮膚の表面の細絡を刺すと解釈するのが、もっとも良いと思う。しかしここまでの文章が言いたいことの全体像、その疑問は残る。刺法について書かれたこの部分は、特別な研究が必要になってくるように思う。
○36 故曰。 37 病在陽者。 38 命曰風。 39 病在陰者。 40 命曰痺。 41 陰陽俱病。 42 命曰風痺。
36 故(ゆえ)に曰(いわ)く、
37 病(やまい)、陽(よう)に在(あ)る者は、 38 命(な)づけて風(ふう)と曰(い)う。
39 病(やまい)、陰(いん)に在(あ)る者は、 40 命(な)づけて痺(ひ)と曰(い)う。
41 陰陽(いんよう)俱(とも)に病(や)むは、 42 命(な)づけて風痺(ふうひ)と曰(い)う。
(解説)
*「36 故(ゆえ)に曰(いわ)く」 は、『甲乙經(こういつきょう)』という本にはない。前の文章、27節に 「故(ゆえ)に曰(いわ)く」 とあり、それに引っかかったものと考えられる。衍文(えんぶん:誤って書き入れられた文)と考えて良いと思う。
*「37 病(やまい)、陽(よう)に在(あ)る者は、 38 命(な)づけて風(ふう)と曰(い)う」
ここで、 「病(やまい)、陽(よう)に在(あ)る者」 とは、現代に言うところの陽病(ようびょう)である。風(ふう)とは、からだの気が滞って、上の方にある気、これを陽の気と言うのだが、それが下りてこないものを言う。
*「39 病(やまい)、陰(いん)に在(あ)る者は、 40 命(な)づけて痺(ひ)と曰(い)う」
痺(ひ)は 「命(な)づけて濕(しつ)と曰(い)う」 としたらわかりやすい。痺(ひ)は、しびれ痛みのことである。痺(しび)れる、あるいは痛むということをあわせた寒の湿という状態である。からだの上の方に病症が出る場合を風(ふう)という。下の方に病症が出る場合を痺(ひ)、これは病気の原因としては寒(かん)や湿(しつ)であるが、それが出る。
*「41 陰陽(いんよう)俱(とも)に病(や)むは、 42 命(な)づけて風痺(ふうひ)と曰(い)う」
馬玄臺(ばげんだい)という人は、
「病(やまい)が陽經(ようけい)に在(あ)る者は、その名を風(ふう)と曰(い)う」 と、言っている。
はっきりと陽ではなくて、陽經(ようけい)と言い切っている。陽というのはからだの上の方の部分を指す場合もあり、陽経を言う場合もある。ここで陽経と言うのは、あまりふさわしくないような気がする。病が陽にあるというのと陽経にあるというのは区別する必要がある。
【さらに勉強したい方のために】
京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
(https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp)
渋江抽斎 ⇒ 検索 黄帝内経霊枢24巻首1巻で『靈樞講義』のマイクロフィルム画像を見ることが出来ます。
*『霊枢』の森を歩いてみませんか。毎月休まず第二日曜、午前10時から12時まで大阪府鍼灸師会館3階です。COVID-19感染予防対策の下、勉強会のご案内につきましては本会ホームページをご確認下さい。次回は2022年7月10日(日)です。
8月は特別講義 『(仮題)蔵府・経脈・兪穴の関連性について』 を篠原先生にお話いただきます。お楽しみに。
(霊枢のテキストは現在3冊の在庫があります。1冊1,600円です。受講申し込み時、または当日、受講受付けにてお問い合わせください)
素問勉強会世話人 東大阪地域
松本政己