公益社団法人 大阪府鍼灸師会

素問・霊枢報告

報告霊枢勉強会報告 令和三年四月

講師: 日本鍼灸研究会代表 篠原 孝市 先生
日時: 令和3年 4月11日(日)
会場: 大阪府鍼灸師会館 3階  出席者: 会員22名(うちWeb11名)  一般17名(うちWeb8名) 学生5名(うちWeb5名)

『黄帝内經靈樞』九針十二原

第一・第二章(一部を抜粋)
小針の要は、 やすくしてり難し。
けいを守り、 じょうしんを守る。神なるかな神、客、門に在りて、 いましつざれば、 いずくんぞの原を知らん。刺之は、 速遲そくちに在り。 かんを守り、上は機を守る。
(校注) ○神なるかな神、客、門に在りて、未だ其の疾を覩ざれば、 惡んぞ其の原を知らん:
○(原文)神乎神。客在門。未覩其疾、惡知其原

同じ『靈樞』の篇「小針解第三」ではこのように言う。
(*「小針解第三」の文章の切り方は「神乎。神客在門(神なるかな。神客、門に在りて)」と解釈している)
「神客」とは、正邪共に會するなり。
(*正気と邪気が一緒にある状態である)
「神」は正氣なり。「客」は邪氣なり。

「門に在る」とは、邪、正氣の出入するところを循(めぐ)るなり
(*正気の出入する所とは今に言う兪穴であり、つぼであり経脈である。門にありとは入口のことである。入口は兪穴と経脈の両方を指す。蔵府は門とは言わない)

「未だ其の疾を覩ざる」とは、まず邪、正いずれの經の疾なるかを知るなり。惡んぞ、その源を知らんとは、どうしてその原因がわかろうか(*まだ充分に病を把握していなければ、その原因もわからないではないか)。
張介賓は、このように解釈する。
「神乎神(神なるかな神)」とは、正氣の盛衰、まさに疑似なるを辨じるべきを言う。
*何を意味するのか、わかりかねる。

「客在門(客、門に在り)」とは、邪の往来、まさにその出入を識しるべきをいう。
*その出入を識るべきというのは、つぼの反応あるいは経脈の反応みたいなものを「客、門に在り」という言葉に込めているのだろうと思う。

もし未だ、その疾の在るところを覩ざれば、また惡んぞ、その當に、治するの原を知らんや。

張志聰の解釈
「神乎神(神なるかな神)」とは、その得神の妙を賛ずるなり(*ほめたたえている文章である)。
*神秘的なものは『荘子』や禅宗の文章、『老子』にも無くは無い。そういうふうに解釈するのもわからなくはない。しかし、これは医学である。そこはちょっと困る。

多紀元簡『靈樞識』の解釈
「小針解」によれば、すなわち「神乎(神なるかな)」の二字句である。「神客」とは、神と客(正気と邪気)のことだ。

澀江抽齋『靈樞講義』の解釈
善、あんずるに「神乎神(神なるかな神)」、はなはだ句法に合う。
*「神なるかな神」が良いと言う。

『素問』「八正神明論(篇第二十六)」に「形乎形(形なるかな形)」「神乎神(神なるかな神)」とある。まさに、これと同じ。かつ「神」「門」と「原」は韻をふむ。「神客」と連続して讀むのは疑うべし。
*多紀元簡の「神客」の解釈を批判している。

伊澤信重の解釈
「神乎神(神あるかな神)」は、三字を一句とする。「小針解」の「神客」連讀、疑うべし(*神客の連読はよくない)。それ、「小針解」は、もっぱらこの篇を解するといえども、まま依據するべからずものあり。 學ぶ者、この篇を 讀むに、 宜しく、心を平らかにし、わたくしを去り、經につきて、もって經を解すべし。「小針解」に固執して、もって必是となすべからず(*「小針解」にばかり、こだわってこれが絶対に正しいのだと考えるのは駄目だ)。

劉衡如『靈樞經(校勘本)』の解釈「小針解」にしたがい「神乎。神客在門(神なるかな。神客、門に在りて)」と読む。
*劉衡如は、そうではない読み方のほうが正しいということがよくわかっていたようである。そこで「し ばらくは小針解の篇にしたがう」と記す。

*今日の中で重要なものは、第二章に書かれている「上は神を守る」、そして「上は機を守る」というところである。ここで「神を守る」「機を守る」ということを何故強調したのだろうか。おそらくは現代と同じように、古い時代にも体に鍼をすることによって、たとえば、腰が痛い時に、腰に小さな鍼をたくさん、浅く接触鍼のような感じで刺すと一時的に痛みが取れたりする。長続きはしなくても簡単に痛みが取れたりする。また腕の関節が痛い場合、痛い部分に数本浅く刺したら痛みがすごく軽くなったりする。つまり、そのように手技を使うことで痛みが取れるということがあった。痛みと手技が直結するということ、これは昔も今もおそらく変わらなかった。症状があって病名があって、その部分に手法がくっつくというのは昔から、ずっとあった事であると思う。

「九針十二原」でわざわざ「粗は形を守る」、そして「上は神を守る」というふうに強調しなければならなかったのは、病態の解釈をしなくても手法だけで、何とかなるということが少なからずあったためだと思う。病態を何も考えないでも手法だけで解決する部分はある。ところがこの「九針十二原」で言いたいことは「神を守る」、これは血気の流れ、具体的には虚実のことなのであるが、病態を診察するという部分を非常に強調しているのである。

この部分を「神気を直感しなければならぬ」と考えるのは、私はある意味で誤解だと思う。気というものの在り方は直感されるべきもの、では無いと思う。気とは、虚であるか実であるかを判定されるべきものである、と思う。これが「神を守る」というものの中にある一番の根底だと思う。人には「神気」があるのだと言うし、言っても構わない。「精気」がある、「気」があるという。しかしそれはカテゴリー無しには、つかまえられない。「九針十二原」の第二章の中で、気がやってくるか、去っていくか、あるいは往くか、来るかという表現で虚実を表している。虚実というカテゴリーに分けて、それに対応して治療をすることが「上は神を守る」ということだと私は思う。

*検索エンジンにて「京都大学 富士川」で検索してみました。「京都大学貴重資料デジタルアーカイブ/富士川文庫」のサイトに入ることが出来ました。そこで「渋江抽斎」を検索、『黄帝内経霊枢24巻首1巻』を選択したら渋江抽斎『靈樞講義』の画像が得られました。(松本)

京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
(https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp)
*『霊枢』の森を歩いてみませんか。毎月休まず第二日曜、午前10時から12時まで大阪府鍼灸師会館3階です。COVID-19感染予防対策の下、勉強会のご案内につきましては本会ホームページをご確認下さい。

素問勉強会世話人
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