霊枢勉強会報告
報告霊枢勉強会報告 『黄帝内經靈樞』 癲狂(てんきょう)第二十二・第四章NEW
講師 :日本鍼灸研究会代表 篠原 孝市 先生日時 :令和六年(2024年)3月10日(日)第36回
会場 :大阪府鍼灸師会館 3階
出席者:会員13名(うちWeb5名) 一般23名(うちWeb13名) 学生4名(うちWeb4名)
*3月度は会場18名、ネット配信での受講が22名でした。
○『黄帝内經靈樞』 癲狂(てんきょう)第二十二・第四章
○第四章の1 ○01 狂始生。 02 先自悲也。 03 喜忘苦怒善恐者。 04 得之憂飢。 05 治之取手太陰陽明。 06 血變而止。 07 及取足太陰陽明。
01 狂(きょう)始めて生ずれば、 02先(ま)ず自(みずか)ら悲しむ。 03 喜(この)んで忘れ、 04 苦(はなは)だ怒(いか)り、善(よ)く恐(おそ)る者(もの)は、 04 之(こ)れを憂飢(ゆうき)に得(え)たり。 05 之(こ)れを治(おさ)むるに手の大陰(たいいん)、陽明(ようめい)を取る。 06 血(ち)變(へん)じて止(とど)む。 07 及(およ)び足の大陰(たいいん)、陽明(ようめい)を取る。
(解説)
*01節の下線部を『日本寛文三年本(にほんかんぶんさんねんぼん)』は「生ずるは」と読む。
*人間というのは一人一人がばらばらに切り離されているとよく言われるが、それは嘘だと思う。
常に他との関係の中にある、あるいは全く他と切れているという関係も含めて、他との関係というものがある。それが人間の色々な意識状態を支えている。認知症の患者さんについて見てみると、聴力が衰え、周りの人たちとの会話が出来なくなると、とたんにその症状が進むということがある。周りに人が居るか居ないか、つまり他の人と関わりがあるかどうかというのは、個人の意識を支える上で、とても重要なものであることがわかる。では「狂(きょう)」という意識状態とはどのようなものであろうか。これは別に考えないといけないだろう。
*この第四章に出て来る症状については、決して珍しいものではない。
*ここでの経脈(けいみゃく)の使い方は示唆的である。手の大陰(たいいん)と手の陽明(ようめい)、あるいは足の大陰(たいいん)と足の陽明(ようめい)を使っている。前の章の「癲疾(てんしつ)」の病とは違っている。
*張介賓(ちょうかいひん)という人はこのように言う。
「此下六節、 皆言狂病也。 【 此(こ)の下の六節(ろくせつ)、皆(み)な狂病(きょうびょう)を言うなり。 】
神不足則悲、 魂傷則狂忘不精、 志傷則喜忘其前言。
【 神(しん)足らざるは、則(すなわ)ち悲しみ、 魂(こん)傷(やぶ)れれば、則(すなわ)ち狂忘(きょうぼう)して精(くわ)しからず。 志(し)傷(やぶ)れれば、則(すなわ)ち喜(この)んで、其(そ)の前言を忘る。 】
肝乗脾則苦怒、 血不足則喜恐、 皆得之憂而且飢、 致傷藏氣也。
【 肝(かん)脾(ひ)乗ずれば、則(すなわ)ち苦(はなは)だ怒(いか)り、 血(ち)足(た)らざれば則(すなわ)ち喜(よ)く恐る、 皆(み)な之(こ)れを憂(うれ)いて、且(か)つ飢えて、 藏氣(ぞうき)を傷(やぶ)る致すに、得(う)。 】
取手太陰之太淵列缺。 手陽明之偏歴温溜、 足太陰之隱白公孫、 足陽明之三里解谿等穴、 並可治之。 必俟其血色變而止鍼也。
【 手の大陰(たいいん)の太淵(たいえん)、列缺(れっけつ)、 手の陽明(ようめい)の偏歴(へんれき)、温溜(おんりゅう)、 足の大陰(たいいん)の隱白(いんぱく)、公孫(こうそん)、 足の陽明(ようめい)の三里(さんり)、解谿(かいけい)などの穴(けつ)を取りて、並びて之(こ)れを治(ち)すべし。 必ず其(そ)の血(ち)の色の變(へん)ずるを俟(ま)ちて、鍼(はり)をとる。 】
*02節の「悲(ひ)」という状態は今でいう「悲しむ」「憂い」という状態である。「狂(きょう)」というものは、ここから始まるのだと言う。とても消極的な感情、あるいは内閉的な感情と言うのか、過去に帰っていく感情と言うのか、そこから出発する。まず、ものを忘れたりする。それから急に怒り出したりする。あるいは恐れるという状態になる。この原因は憂飢(ゆうき)、精神的な環境や生活環境から起るのである。ここでは、そのようなことを言っている。
*はじめに起こった症状というのは、忘れ、怒り、恐れるという状態であり、さほど大したものではない。
○第四章の2 ○08 狂始發。 09 少臥不飢。 10 自高賢也。 11 自辯智也。 12 自尊貴也。 13 善罵詈。 14 日夜不休。 15 治之取手陽明太陽大陰舌下少陰。 16 視之盛者皆取之。 17 不盛釋之也。
08 狂(きょう)、始めて發(はっ)し、 09 臥(ふ)すこと少なくして飢えず、 10 自(みずか)ら高賢(こうけん)とし、 11 自(みずか)ら辯智(べんち)とし、 12 自(みずか)ら尊貴(そんき)とす。 13 善(よ)く罵詈(ばり)し、 14 日夜(にちや)休まず、 15 之(こ)れを治(おさ)むるに手の陽明(ようめい)、太陽(たいよう)、太陰(たいいん)、舌下(ぜっか)、少陰(しょういん)を取る。 16 之(こ)れを視(み)て盛(さか)んなる者は、皆(み)な之(こ)れを取る。 17 盛(さか)んならざれば之(こ)れを釋(す)つ。
(解説)
*16節の下線部について『日本寛文三年本(にほん・かんぶん・さんねんぼん)』は「視るに」と読んでいる。
*08節からが本格的な狂病のあらわれである。まず眠らない、脈がどんどん浮滑脈(ふかつみゃく)となる。陽の気が盛んになって脈が早くなる。そして意識状態がとても鮮明になって眠らなくなる。一晩中起きていても平気という状態になる。そしてものを食べるということがない。ほとんど横になることがない。
*10節~12節の「自ら高賢(こうけん)とし、自ら辯智(べんち)とし、自ら尊貴(そんき)とす。」とは、自分は頭が良くて、知識がある人間であり、自分自身が特別の存在である、そんなことを述べるのだと言っているのであろう。
*「13 善(よ)く罵詈(ばり)し」とは、よく怒鳴るということである。怒鳴るというのは、しょっちゅう周りの人に命令したり怒鳴ったりということである。
*原因があろうが無かろうが関係なく怒鳴りまくって日夜休むこともない。
*この治療法は、手の陽明(ようめい)、太陽(たいよう)、太陰(たいいん)、またこの組み合わせが出てきた。それから「舌下(ぜっか)、少陰(しょういん)を取る」これは「舌下(ぜっか)の少陰(しょういん)」という説と「舌下(ぜっか)・少陰(しょういん)」と二つに分かれるのだ、という説がある。
*16節は、盛んであれば、こういうところから瀉血(しゃけつ)をするのだと言っている。
*17節は、盛んでない場合には、治療してはいけない。鍼をして血を出すようなことをしてはいけないのだと言っている。
*『霊枢』の森を歩いてみませんか。毎月休まず第二日曜午前10時から12時まで、大阪府鍼灸師会館3階です。勉強会の案内につきましては本会ホームページをご確認下さい。
次回は2024年 5月12日(日)「厥病(けつびょう)第二十四」です。『霊枢』は続き物でもないので、どの篇でも興味に応じて受講頂ければと思います。
(霊枢のテキストは現在2冊の在庫があります。1冊1,600円です。受講申し込み時、または当日、受講受付けにてお問い合わせください)
(霊枢勉強会世話人 東大阪地域 松本政己)