公益社団法人 大阪府鍼灸師会

素問・霊枢報告

報告霊枢勉強会報告 『黄帝内經靈樞』 營氣(えいき)第十六・第一章

講師 :日本鍼灸研究会代表 篠原 孝市 先生
日時 :令和五年(2023年)9月10日(日)第30回
会場 :大阪府鍼灸師会館 3階
出席者:会員27名(うちWeb17名) 一般22名(うちWeb13名) 学生15名(うちWeb15名)
*9月度は会場19名、ネット配信での受講が45名でした。

○『黄帝内經靈樞』 營氣(えいき)第十六・第一章(一部を抜粋する)

*この篇では、營衞(えいえ)というものを「營氣(えいき)」とただ称しているだけだと考えても良いと思う。そう思わないと「營氣(えいき)」と「衞氣(えき)」は別なのかという疑問が生じる。「營氣(えいき)」というのは気血(きけつ)あるいは「營氣(えいき)」と「衞氣(えき)」が一緒になった營衞(えいえ)の氣(き)と考えても良いのではないか。

*「營衞(えいえ)」というのは、おそらく『靈樞(れいすう)』などの書物で集められた概念だと思う。 からだの深いところを栄養するものが「營氣(えいき)」、浅いところをめぐってからだの表面を防衛するのが「衞氣(えき)」というふうに分けて考えることもあるが、「營衞(えいえ)」が經脈(けいみゃく)の中を流れているという考え方もある。ここではからだの中をめぐっているものとしての「營氣(えいき)」である。

*「衞氣(えき)」というのは營氣(えいき)と一緒になって体内をめぐったり、あるいは流注以外のからだの部分をめぐるものも含めて「衞氣(えき)」と呼んでいるのだと考えて良いと思う。ここで「營氣(えいき)」ということに対しては、さほどこだわる必要はないと思う。

○01 黄帝曰。 02 營氣之道。 03 内穀爲寶。
01 黄帝(こうてい)曰(いわ)く、 02 營氣(えいき)の道(みち)、 03 穀(こく)を内(い)れて寶(たから)と爲(な)す。
(解説)
*02節の「營氣(えいき)の道」というのは、營氣(えいき)が通るルートというだけではない。ここでは「營氣(えいき)のありかたとは」ということである。『太素(たいそ)』という本では、02節の「營氣(えいき)」を「宗氣(そうき)」にしているが、ここは「營氣(えいき)」で良いと思う。

*03節の文章は『素問(そもん)』という本の「 五蔵別論(ごぞうべつろん)第十一 」や「 平人氣象論(へいじんきしょうろん)第十八 」に注をつける際に王冰(おうひょう)という人が引いている。
王冰(おうひょう)が引用した文章を見ると等しく「03 内穀爲寶。」が 「内穀爲實 【穀(こく)を内(い)れて實(じつ)と爲(な)す】 」となっている。新校正注(しんこうせいちゅう)においては「 この注は靈樞(れいすう)に出(い)ず。實(じつ)を寶(たから)に作る。 」とある。寶(たから)と書いている本と實(じつ)と書いている本がある。

*張燦こう(ちょう さんこう,「こう」は玉へんに「甲」)氏はこのように注を入れている。
『鍼灸甲乙經校注(しんきゅうこういつきょう・こうちゅう)』上冊154頁校注云、「按作「寶」 是,寶與道古韻皆幽部,韻協義安。」
ここでは概(おおむ)ねこのようなことを言っている。
「寶(たから)が良いだろう。なぜなら寶(たから)と道(みち)というものは道(どう)と寶(ほう)で同じ幽部(ゆうぶ)の韻(いん)を踏んでいるからで、韻というものから考えると寶(たから)の方が良い」

*『素問(そもん)』の「五蔵別論(ごぞうべつろん)」にはこのような文章がある。
「是(ここ)を以(もっ)て五藏六府(ごぞうろっぷ)の氣味(きみ)、皆(み)な胃より出(い)ず。變(へん)じて氣口(きこう)にあらわれる。」
( 五蔵六府を栄養する様々なものというのは胃から出て来るものである。胃から出てきた水穀(すいこく)の状態が気口(きこう)、つまり脈診を診る部位である橈骨動脈(とうこつどうみゃく)の拍動部にあらわれてくる。 )

*王冰(おうひょう)という人は02~03節の文章について「榮氣(えいき)の道、内穀(ないこく)の實(じつ)となす」だと言う。


○04 穀入于胃。 05 乃傳之肺。 06 流溢于中。 07 布散于外。
04 穀(こく)、胃(い)に入(い)り、 05 乃(すなわ)ち之(これ)を肺(はい)に傳(つた)え、 06 中(なか)に流溢(りゅういつ)し、 07 外(そと)に布散(ふさん)す。
(解説)
*概(おおむ)ね、このようなことを言っている。
「食べたものが胃に入って、そこから營衞(えいえ)、つまり気血(きけつ)というものが出来て肺のほうに行き、肺の力によってからだの中に流れ、あふれ、そしてからだの外に布散(ふさん)する」

*ここでは05節の「肺(はい)」と07節の「外(がい)」が韻を踏んでいる。


○08 精專者。 09 行于經隧。 10 常營無已。
08 精專(せいせん)なる者(もの)は、 09 經隧(けいすい)に行(ゆ)き、 10 常に營(めぐ)って已(や)むこと無く、
(解説)
*ここでは概(おおむ)ね次のようなことを言っている。
「肺の力すなわち呼吸の力によって營衞(えいえ)つまり気血がからだをめぐる。からだじゅうをめぐる精專(せいせん)なる者(もの)、これはとてもきめ細やかなものということであるが、それが經隧(けいすい)、つまり經脈(けいみゃく)に行き、からだじゅうをめぐり五蔵六府(ごぞうろっぷ)を栄養する。それは、めぐって止むことはない」


○11 終而復始。 12 是謂天地之紀。
11 終りて復(ま)た始まる。 12 是(こ)れを天地の紀(き)と謂(い)う。
(解説)
*11節の「始」と12節の「紀」は韻を踏んだものだとわかる。

*終わってまた始まって、これは循環しているということであり、からだを一日五十回ずつめぐる。

*「天地の紀(き)」の「紀(き)」というのは法律あるいは決め事、法則性ということである。12節では「これが自然、天地の法則性だ」と言っているのである。

*12節のような言葉をくりかえすことにより、ひとのからだを自然界と同一視している。ここで誤解が生じないように言っておくが、自然界と同一視しているひとのからだは、しょっちゅう自然界から脱落して外れていくことがある。これは『素問』、『靈樞』の本の中では自明のこととなっている。
東洋医学というものを、ひとを自然物と見て、自然と一体となって生きていると、そんなふうに言って非難する人がいる。
しかし自然とひとの体が一体化しているというのは、ひとが自然からはずれていくための基準を見るためのものなのだ。ひとの本来のありかたは、自然のありかたから外れていく、それが普通である。自然のありかたから外れていくということは、人間の倫理で何とかなるようなものではない。ひとの生存というものは自然の存在でありながら、自然から外れていくという要素がある。その部分を測定するために天地の紀というものを持ち出して来なくてはならないというわけである。


*『霊枢』の森を歩いてみませんか。毎月休まず第二日曜、午前10時から12時まで大阪府鍼灸師会館3階です。勉強会のご案内につきましては本会ホームページをご確認下さい。
次回は11月12日(日) 『四時氣第十九』を歩きます。


(霊枢のテキストは現在2冊の在庫があります。1冊1,600円です。受講申し込み時、または当日、受講受付けにてお問い合わせください)


(霊枢勉強会世話人 東大阪地域 松本政己)

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