素問・霊枢報告
報告霊枢勉強会報告 令和三年十二月
講師: 日本鍼灸研究会代表 篠原 孝市 先生日時: 令和3年12月12日(日)
会場: 大阪府鍼灸師会館 3階 出席者: 会員22名(うちWeb16名) 一般13名(うちWeb5名) 学生15名(うちWeb15名)
*12月度は会場14名、ネット配信での受講が36名でした。
○『黄帝内經靈樞』邪氣藏府病形第四・第三章
(解説)
○01 黄帝曰。
02 邪之中人。
03 其病形何如。
04 岐伯曰。
05 虚邪之中身也。
06 灑淅動形。
【01 黄帝曰く、 02 邪の人に中るに、 03 其の病形、何如、と。
04 岐伯曰く、 05 虚邪の身に中るや、 06 灑淅として形(かたち)を動ず。】
*「病形」とは「病證」のこと。
* ここでは「邪」というものを「正邪」と「虚邪」に分けている。本書に「九宮八風第七十七」という篇がある。
東西南北とその間の四方向、あわせて八つの方角から吹く風について述べている。それによると風には季節に見合った吹く方向があり、その通りに吹けば、ものはよく生育し、人は病気になることがないという。しかし季節に見合わない方向からの風がある時、これを虚邪賊風というのだが、これが病気の原因になるという。「風の病因論」と言っても良いかも知れない。かつて石田秀美氏が「風の病因論」についての論文を書かれていたが、この立場から書かれたものである。
*季節によって吹くべき方角からの風がある。それと異なる方向からの風は人のからだに悪い影響を与える。これが「虚」である。
*季節によって吹くべき方角からの風がある。それと異なる方向からの風は人のからだに悪い影響を与える。これが「虚」である。
*「灑淅」というのは「そんせき」と言う場合もある。ぶるぶると震えるように寒いさまを指す。「灑灑」と「灑」の字を重ねる場合もある。ここでは郭靄春氏の解釈にしたがって「悪寒戦慄」のこととしておきたい。
*まずなにしろ虚邪に当ると震えるんだと言っている。邪気には色々な表現があり、わけがわからないと思うかも知れない。しかし、後の時代の人がこういうものを整理して「五邪論」にして行ったのであり、その原型であるので議論は様々に展開されよう。
○07 正邪之中人也。
08 微先見于色。
09 不知于身。
10 若有若無。
11 若亡若存。
12 有形無形。
13 莫知其情。
【07 正邪の人に中るや、 08 微き先ま ず色に見あらわれて、
09 身に知られず、 10 有るが若無きが若く、
11 亡するが若く存するが若く、12 形有れど形無くして、 13其の情を知るもの莫し、と。
14 黄帝曰く、 15 善きかな、と。】
*「正邪」は「虚邪」とは異なり“灑淅として形(かたち)を動ず” ことはしない。「正邪」は正常なる邪気、つまりは重くない邪気、症状がすぐに治るものである。この場合は「色にあらわれる」のである。中国医学で「色」という場合は顔面の色を指す。特に眉間の部分の色を指す。「身に知られず」ということで、顔の色としてあらわれているが自覚症状的なものは ないのだと言っている。「有るがごとく無きがごとく」ということであるから、症状が少しあったり無かったりすると言っている。「形有れど形なし」というのは表面のわずかな症状を言う。「その情を知るものなし」というから、はっきりわからないものだと言っているのだろう。
○中国医学にとっての大きな課題
人のからだにあらわれる具体的な症状、たとえば背中や腰が痛い、肘・膝が痛い、寒気・熱が出てきたなどの諸症状を、どのように病態論に組み替えるかということが一番の課題だと思う。中国医学では、からだの中のことは全くわからない。尿検査も血液検査も中国医学にはない。症状と脈状、それらの所見しかない。そうした場合にまず考えたことは、このようなものだ。ひとつは「邪じゃ」という概念である。これは季節によって吹いてくる風、つまり春夏秋冬の季節と関係のあるところが病気の原因になるのであろうということである。もうひとつは季節の考えかたとは関係なく、邪があたる一般的な法則として邪のしるしになるものは上半身、特に頭に症状が起こるということである。頭というものは陰陽のうち陽に属するという規定がある。陽の部分に来るものがひとつの邪の典型である。しかし、そうではなくて、邪というものは上半身にも下半身にもあたる。その場合に「天の邪」つまり「風」と「地の湿」、湿気であるが、これらがからだに影響を与える。中国医学には、このような認識がある。
また中国医学では、からだの中に蔵府と経脈という機構が、すでに用意されている。経脈は「陰経」と「陽経」とに分れている。「陰経」に邪が入る場合は陰経から「蔵」に入る。この場合の邪の入口はおなかでも、背中でもなく、上肢や下肢で陰の位置にある皮膚の薄い部分からという認識がある。陽の部分は、足の太陽経に所属するような、つまり、からだの表面すべてである。陰経に影響するのは、とくに手足の陰の部分にある。この部分から邪が陰経に入って蔵に入ったら重大だという認識がある。手足の陰の部分は特別に重要である。体幹部の背中、おなか、わきはそれに準ずるものである。さほどでもないとは言わないが、そういうものである。
そういうふうにして陰経と陽経、それぞれ中る症状があり、そういうふうな区別というものは、すでにこの文章が書かれた段階で認識されている。
○陰の経脈から五蔵に邪が行った場合は
私が思うには「蔵府」と「経脈」は別々に成立したのだと思う。「経脈」は成立の最初の段階から「蔵府」に紐付けされかかっていたものが、次第に完全な形で紐付けされたものと思う。経脈が蔵府と紐付けされることによって次第に経脈病證のほうが力を失って蔵府病證と一体化して蔵府経脈病證となった。経脈といえば常に蔵府が前提のものとなった。蔵府・経脈は後の時代には区別されなかった。ただし「経脈」は鍼灸を実践しない者にとってはあまり問題にされずにいた。実は、鍼灸を行う人々にもあまり問題にされなかった。「経脈を昔から問題にし続けていたのだ」それを現在、私は疑う。経穴ばかり重要視されて蔵府とくっついた経脈は、経脈を忘れて蔵府ばかりが問題となった。経脈が問題になる時も常に「蔵府」と紐付けされた形で問題にされたのではと思う。
さらに勉強したい方のために】
京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
(https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp)
渋江抽斎 ⇒ 検索 黄帝内経霊枢24巻首1 巻で『靈樞講義』のマイクロフィルム画像を見ることが出来ます。
*『霊枢』の森を歩いてみませんか。毎月休まず第二日曜、午前10時から12時まで大阪府鍼灸師会館3階です。COVID-19感染予防対策の下、勉強会のご案内につきましては本会ホームページをご確認下さい。2022年2月13日(日)は「根結第五」です。お楽しみに。
(霊枢のテキストは現在5冊の在庫があります。1冊1,600円です。受講申し込み時、または当日、受講受付けにてお問い合わせください)
素問勉強会世話人 東大阪地域
松本政己