素問・霊枢報告
報告霊枢勉強会報告 令和三年十一月
講師: 日本鍼灸研究会代表 篠原 孝市 先生日時: 令和3年11月14日(日)
会場: 大阪府鍼灸師会館 3階 出席者: 会員24名(うちWeb18名) 一般17名(うちWeb8名) 学生33名(うちWeb33名)
*10月度は会場15名、ネット配信での受講が59名でした。
○『黄帝内經靈樞』小針解第三・第一章(一部を抜粋)
(解説)
○01 所謂易陳者。
02 易言也。
【謂う所の陳べ易しとは、言い易きなり】
*「九針十二原第一」に出てくる文章「小針之要、易陳而難入(小針の要は、陳べやすくして入り難し)に対する注語である。
*「陳」は、陳述の「陳」である。この文章は「いわゆる、陳やすいとい う言葉があるけれど、それは言葉にするのはさほどむつかしいことではないのだ」と言っている。
○03 難入者。
04 難著于人也。【入り難しとは、人に著き難きなり】
*現代の注解者、周海平は、「入」という言葉について、ものをつかむ、とらえる、という意味に解釈する。
*「著く」という言葉は、「明白にする」という意味に解釈されている。
*ここの文章は、「人にとって明白な理解に到達するということは難しい」と言ったものだと思う。隅から隅まで何ひとつ隠すことなく言葉で表現したとしても、また、それを百回ぐらい読んでも理解するのは難しいという内容だと理解している。
○05 粗守形者。
06 守刺法也。
【粗は形を守るとは、刺法を守るなり】
○07 上守神者。
08 守人之血氣。
09 有餘不足。
10 可補寫也。
【上は神を守るとは、人の血氣を守り、有餘不足は、補寫す可きなり】
*「粗」は「上」と対になっている。「粗工」と「上工」である。「粗工」は下手な医者、あるいは未熟な医者という意味である。「上工」はすぐれた医者ということになる。
*「粗は形を守る」とは鍼の刺し方を守る、保守するということである。私たち鍼灸師の日常にもよくあることで、たとえば、かぜをひいている人にどのように鍼をするか、補法というのはどのように鍼を使えば良いのかというふうなものが刺法を守るということである。どのつぼに鍼を刺せば良いのかということも、刺法を守るということに含まれている。
*「上は神を守る」というのは、その人のからだの状態はどんな状態なのか、そしてこのような状態であるから、このような治療をしなければならないということを言っている。からだの状態が虚(不足)であれば補う。実(有餘)であれば寫す。しかし「有餘不足」というものには、もっと深い意味もある。「有餘不足」というのは「陰陽論」を土台にした考え方である。虚を補うということは、ひとのからだの正気、もっとも重要な気というものを補うためのものである。瀉法というものは、からだの中のウィルスのごときものを外に出すという意味ではなくて、こちらはからだの中の、ある過剰な状態というものを独特の手法で取ることによって不足を補うということに通じている。ここが肝心かなめである。「人の血気を守る」とは診察をちゃんとすること、診察を通じて鍼を補法か寫法(しゃほう)かに使い分けるのだという二つの意味が含まれるものと思う。
○11 神客者。
12 正邪共會也。
【神客とは、正邪の共會するなり】
*本書の篇「九針十二原第一」の中にある文章「神乎神客在門」について「小針解」の著者は、この箇所を「神乎、神客在門 【 神なるかな。神客門に在り】」と読んでいる。「神」というのは正気、「客」というのは邪気と定義されている。ここでは、人のからだの気と、外からの影響である邪というものが、一緒に門、からだの表面、あるいはつぼにあると解釈する。
*張介賓は九針十二原の注解で「神乎神、言正氣盛衰、當辨於疑似也」と述べて、「神乎神(神なるかな神)」と句讀している。(配布資料 2ページ)
この読み方は他にも用例としてあるので、「神乎神(神なるかな神)」と読んだほうが良いと思う。しかし「小針解」では、そのように読んではいない。
○13 神者。
14 正氣也。
【神とは、正氣なり】
○15 客者。
16 邪氣也。
【客とは、邪氣なり】
○17 在門者。
18 邪循正氣之所出入也。
【門に在りとは、邪の正氣の出入する所を循るなり】
*ここでは、神気というものは、人のからだの中にある正常の気、そして客気とは邪気だと言っている。邪気が門、すなわち正気の出入する場所にやってきたということである、と言う。
周海平という人は、いくつもの書物の用例をあげてこのように言う。
「神」というのは、「身」という意味である。
*これは新しい解釈であり、今までの解釈と比べて異質である。
○19 未覩其疾者。
【未其の疾を覩ずとは、】
○20 先知邪正何經之疾也。
【先ず邪正何れの經の疾なるかを知るなり】
*何かの症状があったとしても、まずその病を理解するには、どの経脈がどんなふうに影響を受けているかを知ることが重要なのだ、と言っている。
*『素問』や『靈樞』の時代には色々な議論があった。一つは症状があって初めて病であり、その症状をどのように解析するかという考え方である。もう一つ、脈診というものが出てきてから、症状が出ていなくてもからだが病に影響されていることがあるのだという認識がだんだん出てきた。症状が出る前にすでに、どこかの蔵、あるいはどこかの経脈が病に影響を受けている、そうしたことを察知できると考えた。脈をみるということが非常に重要だという考えのもと、そんな考え方が出来たのだと思う。(**『靈樞』の成書年は、2021年3 月14 日配布の講義資料『靈樞』の世界、4ページに詳しい)
*「先邪正何れの經の疾なるかを知るなり」 という文章であるが、「先ず」ではなく「未だ」という字にしたほうが合理的なのだという意見がある。
**その注解に従って読むと「未だ何經の疾に在るか知らず」となる。
さらに勉強したい方のために】
京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
(https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp)
渋江抽斎や、黄帝内経で検索。「黄帝内経霊枢24巻首1 巻」で『靈樞講義』の画像を見ることが出来ます。
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*『霊枢』の森を歩いてみませんか。毎月休まず第二日曜、午前10時から12時まで大阪府鍼灸師会館3階です。COVID-19感染予防対策の下、勉強会のご案内につきましては本会ホームページをご確認下さい。2022年1月9日(日)は「根結第五」です。お楽しみに。
(霊枢のテキストは現在5冊の在庫があります。1冊1,600円です。受講申し込み時、または当日、受講受付けにてお問い合わせください)
素問勉強会世話人
東大阪地域 松本政己