素問・霊枢報告
報告霊枢勉強会報告 令和三年八月
講師: 日本鍼灸研究会代表 篠原 孝市 先生日時: 令和3年 8月 8日(日)
会場: 大阪府鍼灸師会館 3階 出席者: 会員22名(うちWeb14名) 一般18名(うちWeb9名) 学生9名(うちWeb9名)
八月特別講義
経脈病證について
○『靈樞』「經脈篇と『足臂十一脈灸經』、『陰陽十一脈灸經』を資料とする 。
○資料について
『足臂十一脈灸經』と『陰陽十一脈灸經』は1973年頃であろうか、その頃、中国湖南省長沙の馬王堆という所から出てきた出土物の中にあった経脈の流注と病證、これに関するものである。これが出てくる以前、経脈というものを考える資料は『靈樞』「經脈篇」と『素問』および『靈樞』の中に在る経脈に関する断片の文章、それは『素問』「脉解篇」や「厥論篇」であるが、それしかなかった。しかし馬王堆から、より古い資料というものが出てきたので、それまで考えられていた経脈の考え方をかなり変えなければいけなくなった。
資料では『靈樞』「經脈篇」と馬王堆から出土した『足臂十一脈灸經』、『陰陽十一脈灸經』を並べて対比してある。これはもうすでに他の人たちも行っている。それを改めて対比してわかるようにしてみた。
全体を通してわかることは『靈樞』「經脈篇」の、どの経脈もすべて『足臂十一脈灸經』、『陰陽十一脈灸經』の中に出てくる。しかし、一つの経脈だけ出てこない。それは「心主厥陰心包經」である。
○『靈樞』「經脈篇」
01肺手太陰之脈。
(解説)
この文章は「手の太陰の脈」が肺という蔵府と関係していることを表している。当たり前だと思うかもしれないが、実はそうではない。「手の太陰の脈」の上に「肺」という蔵府の名前をつけるというのは、実は「經脈篇」の著者あるいは編者が行ったものと思われる。あるいは、後の時代にそれが行われたというのがわかる。後の時代に「手の太陰肺経」と呼ばれるようになるのだが、蔵府と経脈の名前というのは一義的なものではない。
『靈樞』「經脈篇」を読む時に、この事をまず一つ押さえておかないといけない。
経脈というものは決して、蔵府との関係が最初から規定されていたわけではない。
02起于中焦。 03下絡大腸。 04還循胃口。 05上膈。 06屬肺。 07從肺系。 08横出腋下。 09下循臑内。 10行少陰心主之前。 11下肘中。 12循臂内上骨下廉。 13入寸口。 14上魚。 15循魚際。 16出大指之端。
(解説)
特徴的なのは「中焦」から始まって、手の第一指に終わるという流注である。
17其支者。 18從腕後。 19直出次指内廉。 20出其端。
(解説)
こちらも流注である。手関節附近から始まって別の方に向かって流れていくということが書かれている。第二指に向かって流れていくということで、これも経絡経穴を勉強した人は誰でも知っている。
*「肺系」というのは何かというと、昔は「肺の系と言って、肺が上からひもで吊るされているイメージでとらえていた。実際の解剖図によるものとは違って、そのようにとらえていた。「肺系」とは何かと言うと肺を吊るしている糸のことを、そう言った。
『靈樞』「經脈篇」を読む人は、皆なこれを疑わないでそのまま読む。中焦から始まり肺の蔵府まで行くのだということを誰も疑う事がない。それは、この文章をそのまま受け取っているからである。体内でこのようにめぐっているのだと考える。しかし、この流注そのものが『足臂十一脈灸經』と『陰陽十一脈灸經』では違うということがわかる。
ここでは『靈樞』「經脈篇」と対応する部分を同一の番号としている。
○『足臂十一脈灸經』
01臂泰陰脈。
12循筋上廉。 09以奏(走)臑内。
08出夜(腋)内廉。之心。
○『陰陽十一脈灸經』
01臂鉅陰之脈
(解説)
「臂鉅陰の脈」というのは「手の太陰の脈」のことである。
起於手掌中。出臂内陰兩骨之間。上骨下廉。筋之上。出臂内陰、入心中。 (解説) 「手の掌中に起こり、臂の内陰兩骨の間に出で、骨の下廉、筋の上を上り、臂の内陰を出で、心中に入る」と読む。
手の太陰の経脈は手から行って心に入ると言う。ここで求心性だということがわかる。そして心に関する病證と関係があるということを表明している。
○『靈樞』經脈篇
21是動。
22則病肺脹滿膨膨。 23而喘咳。 24缺盆中痛。 25甚則交兩手而瞀。 26此爲臂厥。
○『足臂十一脈灸經』
其病。
心痛。心煩而意(噫)。
(解説)
「其の病。
心痛し、 心煩(しんはん)して、噫す」と読む。
「心痛」というのは、胸が痛む、あるいは、みぞおちが痛むということである。普通は胸の胸骨体の下の辺りが心だと言われている。
そこが痛むのが心痛である。 心煩は煩心と同じである。胸苦しい、あるいは息苦しいと言っても良い。胸をかきむっしたりするような状態である。「噫」は喘である。
○『陰陽十一脈灸經』
21是動則病。
心彭彭如痛。 24缺盆痛。 25甚則交兩手而戰。 26此爲臂厥。 是臂鉅陰之脈主治。
「是れ、動ずれば、則ち病む。心、彭彭として痛むが如ごとく。缺盆痛み、甚だしければ則ち、兩手を 交えて戰き、此れを 臂厥と 爲す。是れ臂之鉅陰の脈の主治なり」と読む。
「心、 彭彭として痛むが如く」とは、「心痛」を言う。胸が痛むということだ。
ところが、これを『靈樞』「經脈篇」では、「22則病肺脹滿膨膨 (肺、脹滿【ちょうまん】して膨膨【ぼうぼう】たり)」 と変えてあり「心」という言葉は出てこない。
また、ここにある「25甚則交兩手而戰(甚【はなは】だしければ則【すなわ】ち、兩手【りょうて】を交【まじ】えて戰【おのの】)き」」という文章が『靈樞』「經脈篇」では、「25甚則交兩手而瞀(甚【はなは】だしければ則【すなわち】兩手【りょうて】を交えて瞀【ぼう】す)」と変わっている。
「瞀す」とは意識が暗くなるような様を言う。両手で胸を押さえるようにして意識がもうろうとした状態だと言う。『靈樞』「經脈篇」では「肺」のこととして書かれているが、実は『陰陽十一脈灸經』の「心の病證」の文章がそのまま流れているのだとわかる。
「肺」というのは何か。「肺」は肺蔵のことではなく呼吸のことである。「肺」というのは「呼吸」のことであり「皮膚(体表面)」のことであり、色の「白さ」、そういうものを指すのである。ここでは、そういうものに関わる病證ではなくて、もっぱら「心」に関わるものであった。
肺に関わるものというのは重篤なものではない。心に関わるものは急激に病態が悪くなり死んでしまうというイメージがある。「心痛」というものは普通では無い。昔の人がもっとも恐れたものは、胸の痛みとおなかの痛みであった。手足が痛むもので、まず重篤なものは骨折を別にしてなかろう。『素問』や『靈樞』の文章を読んでいて一番、印象的なものは「心の病」というものは急激に病態が悪化して、あっという間に死んでしまうということである。腎の病はどうか、こちらは長い期間を要してからだが衰えて死んでしまうという違いがある。
だから「手の太陰の脈」というものは、現在私たちが考えているような生易しいものでは無くて、古い時代は結構重篤な病證であったということが、ここでわかる。
『靈樞』「經脈篇」以前は、経脈の流注というものは「足の太陰脾経」「手の太陽小腸経」の二脈ぐらいを別にすると、すべて手足の末端から、からだの中心に向かって流注をしていた。
流注とは何かを考えることには問題がある。流注というものがあるのかと言えるぐらいのものである。流注というものは、川の流れがイメージされている。しかし本当に川の流れのようなものであれば、求心性で主に書かれていた経脈の病證が、『靈樞』「經脈篇」の成立に至って、まるで、たまきの端無きがごとく、からだの中心から手足の先へ、そしてそこからまた、からだの中心へ、そして中心からまた末端の手足へと、遠心性と求心性が入れ替わっていくことは出来るわけがない。
*たまきの端無きが如し:(荀子【じゅんし】)めぐりめぐってきわまる所のないことにいう。(新村出編『広辞苑』第七版 岩波書店)
中国でも後の時代の元( 1 2 7 9 ~1367年)や明(1368~1661年)になると流注に大きな意味を持たせた。鍼をする方向を流注の向きに対して順にするか逆にするかで気の補瀉というものが出来るのだというような手技を生み出す人もいた。
*『霊枢』の森を歩いてみませんか。毎月休まず第二日曜、午前10時から12時まで大阪府鍼灸師会館3階です。COVID-19感染予防対策の下、勉強会のご案内につきましては本会ホームページをご確認下さい。10月度は10月10日(日)、『霊枢』「本輸 第二」の篇に入っております。 (霊枢のテキストは現在5冊在庫あり、受講申し込み時お問い合わせください。1,600円+ 送料)
素問勉強会世話人
東大阪地域 松本政己