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平成30年10月素問勉強会(30年度)/『素問』至眞要大論篇第七十四注 第五十七章より2018.11.26

●日時:平成30年10月14日(日) ●会場:大阪府鍼灸師会館4階
●講師:日本鍼灸研究会代表 篠原孝市先生

・医道の日本2018年10月号 『臨床に活かす古典№77 解読 その2』のお話より
 
 浮沈の脈状を最初に説明したのは王叔和(おうしゅくわ)の『脈経』という本の中の二十四脈状である。
 
「浮脈。挙之有余。按之不足(浮脈。これをあげて有余。これを按じて不足)」「沈脈。挙之不足、按之有余(沈脈。これをあげて不足。これを按じて有余)」という脈状の形式を四文字と四文字で表現するというのは中国のひとならではの非常に韻律のある文章だと思う。
 
 浮脈と沈脈は、形式を見ただけでも対になっていることがわかる。浮脈と沈脈のあいだに別の脈があるというような、あいまいさが入る余地はない。脈をみる指をあげた場合と、押さえた場合とで脈の、いわゆる気の有余と不足があるということであいまいさがまるでない。
 
 この文章の「之(これ)」という字は、意味がない言葉である。文章を四文字にするために入れたものである。「浮脈。あげたら気が有余で、按じたら(押さえたら)気が不足している」という文章である。

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・医道の日本2018年10月号 『創刊80周年記念特集 技の原点 学びの原点 「井上雅文と病証学」(94~97ページ)』のお話より
 
 やはり病証学にもとづく選経選穴は重要である。二十年以上前の『医道の日本』に、井上雅文は「病証は言うならばフィクションであり、治方の場で初めて現実となる。 その過程には検者がどれだけ現実の情報をイメージできるかが治方の多様性と的確さを左右するだろう」と書いている。
 結局、脈状や症状というものはわけがわからないものである。そのままみていても取りとめがない。それを伝統的な陰陽論、五行論の枠、たとえば寒熱や五蔵の陰陽五行の枠組みに入れ込んで、それを仮説として組み立てて、それを治療の枠に入れる。そのように治療してみる。施術のための仮説の病態像というものを考えていたということが、実践しているうちにだんだん、わかってきた。
 
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★『素問』至眞要大論篇第七十四注
 
第五十七章
 
 帝曰く、善し。火のごとくに熱し(あつし)、復た(また)惡寒發熱(おかんはつねつ)して、瘧(ぎゃく)の状(かたち)の如き(ごとき)有り、或いは一日にて發し(はっし)、或いは數日(数日)を間てて(へだてて)發す(はっす)、其の故(そのゆえ)何ぞや、と。

(訳文)
 帝が言った。「よろしい」
「熱病があり、悪寒發熱、寒気と熱性と両方がくるものがある。瘧(ぎゃく)という病証と似ているものがある。瘧の病症に似ているものは、一日に一度症状を起こすものもあれば、何日かおきに症状を起こすものもある。その理由はどのようなものか」
 
(解説)
 方藥中(ほうやくちゅう)という人は著書『黄帝内經素問運氣七篇講解』の中で、「火熱」は高熱のことだと言う。
「惡寒(おかん)」は寒さを恐れるということで「ぞくぞくする」ことである。
 
一日にて發し: 方藥中は「一日一回発作が起こること」だと言う。
 
 
 岐伯曰く、勝復(しょうふく)の氣、會偶(かいぐう)の時に、多少有ればなり。陰氣多くして陽氣少なければ、則ち(すなわち)其の(その)發する(はっする)こと日遠し。陽氣多くして陰氣少なければ、則ち其の發すること日近し。此れ勝復相薄る(あいせまる)、盛衰の節なり。瘧(ぎゃく)も亦た(また)法を同じくす、と。
(訳文)
 岐伯(きはく)が答える。
「ひとのからだの中には、勝復という、ある気が盛んになると別の気がそれを抑えるというはたらきがある。あるものが強くなったから、別のものを抑えるというふうになった時に、気の多少によって毎日毎日、悪寒発熱の症状が出ることもあるし、何日かおきに症状が出ることもある。 陰の気が多くて、陽の気が少ない場合は、何日かおきに症状が起こる。陽の気が多くて、陰の気が少なければ毎日毎日、症状が起こる。からだの中で対立しあっている陰の気や陽の気がぶつかり合う時に、どちらかの気が盛んになり、どちらかの気が衰えるということが起こる。瘧(ぎゃく)という病証も、今述べた症状と似たようなものになる」
 
(解説)
勝復の氣: 方藥中は、これは一種の自然の調節現象だという。暑ければ、それを抑える寒さの気みたいなものがはたらくということである。
會偶(かいぐう): ものが出会うということ。ここでは、勝気と復気が出会うということだろう。
陰氣・陽氣: 方藥中は陰氣は邪気を指し、陽氣は正気を指すと言う。
瘧(ぎゃく)も亦た法を同じくす: 方藥中は、意味するところは、ここでは「瘧の如し(ごとし)」であるという。「瘧の如し」という表現は『類經』という本の篇名にある。
 
 
 
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(素問勉強会世話人  東大阪地域 松本政己)