●日時:平成30年2月11日(日) ●会場:大阪府鍼灸師会館3階
●講師:日本鍼灸研究会代表 篠原孝市先生
★医道の日本2018年2月号 『臨床に活かす古典№69 文献その2』のお話より
足の三里や合谷を取ったことがない人が、経穴の本を読んでも実感が全然ないのではないか。無理である。取ったことがあるということは特別なことである。これは本を読むという上においても大きいと思う。古典の研究というのは、とても具体的な脈診や経穴、刺法などのアプローチは、それを経験しない人には無理だと思う。
経験が知識を活かす。経験に勝つ知識はない。そういう意味では、やはり貧しくても何かを経験したということは大きいと思う。
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★『素問』至眞要大論篇第七十四注 第五十四章
⑨ 諸禁鼓慄(しょきんこりつ)、神(しん)の守りを喪う(うしなう)が如き(ごとき)は、皆な(みな)火(か)に屬す(属す・ぞくす)。
(解説)
諸禁(しょきん)の禁:口をつぐむというのが一般的な解釈であるが、ここでは、歯をぐっとかみしめるという意味である。「禁」は「噤」の字が良いという注解者もいる。
鼓慄(こりつ):寒くて歯をがくがくさせる状態である。
鼓(こ):歯をがちがちさせる。慄(りつ):寒くてぶるぶる震える。
神の守りをうしなう:精神的に不安定になる。
馬玄臺(ばげんだい)という人は、「熱がきわまって寒という状態がこれに当たる」と言っている。
⑩ 諸痙項強(しょけいこうきょう)は皆な濕(しつ)に屬す。
(解説)
諸痙(しょけい):諸々の痙病をさす。「痙(けい)」という言葉は『金匱要略(きんきようりゃく)』の中に定義がある。「からだが熱くて足が冷えて、首の部分が非常にこって悪寒もして、悪寒はするのだがだんだん頭、顔、目などが熱っぽくなってくる。そのような病証である」「ひどくなってくると、口を食いしばって角弓反張(かくきゅうはんちょう)というけいれんした状態になる」とある。
⑪ 諸逆衝上(しょぎゃくしょうじょう)は皆な火に屬す。
(解説)
諸逆衝上は、気逆上衝のこと。からだの上の方に向かって血やモノが出てくる状態をいう。せきが出たり、喘息のように息をあえがせる、モノを吐いたりするというのは全て、気逆上衝の状態といえる。
張介賓の注
火性は炎上するがゆえに諸逆衝上するものは皆、火に属す。どの蔵(臓)も、どの経(経脈)も気が逆に動くということがある。その原因は陰陽虚実の違いによって起こるのである。
気の上逆というのは、単に火というものだけではなくて、火には実と虚の場合がある。実の場合は瀉す。虚の場合は補う。気逆をなお虚と実の二つに分ける必要がある。
⑫ 諸脹腹大(しょちょうふくだい)は、皆な熱に屬す。
(解説)
脹は、胸や脇が張った感じがする状態である。また胃が張った感じというのも、これに当たる。
腹大は、おなかが見た目で大きくなる。
熱について、最近の運気論のすぐれた注解を書いている方藥中(ほうやくちゅう)さんによると虚実の実という風に理解したほうが良いと言う。これは熱ではなくて実という風に考えたほうが良いと解釈している。
腹脹、腹大というのは実証のことである。今では虚実というのは強いか弱いかとみんな考える。しかし実とはおなかの中にものがいっぱいたまっているという状態をさす言葉でもある。腹部の症状として腹満、腹大は実と考えるというのは、わかりやすいといえばわかりやすい。
⑬ 諸躁狂越(しょそうきょうえつ)は、皆な火に屬す。
(解説)
躁は煩躁(はんそう)して苦しい、落ち着かないという状態である。
王冰の注
「胃および四末に盛んなり」
(*夜、手足があつくなって寝られないという状態を考えればよい)
馬玄臺の注
劉河間(りゅうかかん)の『素問玄機原病式(そもんげんきげんびょうしき)を引いて、「非常にさわがしくて暑苦しくて、そして静かに安定していられない状態は火(か)というもののありかたを表しているものである。熱が外に甚だしければ、手足が暑苦しくて落ち着かなくて置き場がないような状態、熱が内に甚だしければ、気分が落ち着かない。狂者は狂乱してとどまるところがない。礼儀作法から離れてしまう。腎は志をつかさどるがゆえにのみ。心火さかんなるは、すなわち腎水おとろえ、人間の自分を統合している意志というものを失って、あらぬ行為をしたり、あらぬ言葉を吐いたりする。
*次回は ⑭ 『諸暴強直は、皆な風に屬す(ぞくす)』からです。
*『素問』の森を歩いてみませんか。毎月休まず第二日曜です。
『素問』を後の時代の王冰(おうひょう)さん、馬玄臺さん(ばげんだい、馬蒔さんも同じ人です)、張介賓(ちょうかいひん)さんなどが、どんなふうに考えたかもおもしろいところです。ぜひ一度、お越しください。
(素問勉強会世話人 東大阪地域 松本政己)