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素問

29年度7月素問勉強会/『素問』至眞要大論篇第七十四注 第五十章より2017.08.28

●日時:平成29年7月9日(日) ●会場:大阪府鍼灸師会館3階
●講師:日本鍼灸研究会代表 篠原孝市先生

★医道の日本誌7月号 臨床に活かす古典 『№63 医箴(いしん)』のお話より
 
 2500年ほど前に書かれたヒポクラテスの『誓い』の最後に、医の倫理を国や社会に誓っているのでは無く神に誓っているのが非常に印象的であった。古代中国でも同じである。『後漢書』の方術列伝にある郭玉(かくぎょく)の伝記でも仁愛が非常に大事だと、それから貧しいとか卑しいとかそういう事と関係なくちゃんと治療するべきだという事が短い文章で書いてあって、ヒポクラテスと全く同じである。なぜ東西の全く違う場所で同じような考え方が出てくるかはよくわからないが、全く同じなのだと感じた。
 志(こころざし)とは、ある方向に向かって動かない心のことなのであるが、自分に引き寄せて考えた事であるが、あれも良しこれも良しという姿勢とは違うような感じもする。『臨済録(りんざいろく)』という本の中に「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し・・・」という有名な一節が有る。色々見たあげくあれも駄目、これも駄目で最後に自分で一つ選択する所から志というのは来るのではないか。世界中が全部良く見えている時には志を立てる必要は無い。
 志というのは、あれも駄目これも駄目、周りに見ているものはみんな駄目というようなところで無いと、なかなか志までいかないのでは無いか。何故かというと鍼灸師の仕事というのは、一生懸命に自分が技術を磨いて上に上がっていくというものとは違う感じがする。それは農業や気象予報士に似ていると、いつも思っている。相手を観察して、気象でも今日は晴れで明日は雨だといっても、晴れや雨を自分の力では変えられない。観察して「雨が降るから洗濯物を入れましょう」と言えるだけである。相手の状態によって対応を決められるだけである。鍼灸の治療も似たような感じがする。どんなに技術を磨いても自然に勝つことは出来ない。観察して長い時間かかって治療するというのは、ある意味で農作業に似ている。地道な修行や努力が要る。

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★『素問』至眞要大論篇第七十四注 
 
第五十章より
 是の(この)故(ゆえ)に百病の起るや、本(ほん)に生ずる者有り。標(ひょう)に生ずる者有り。中氣(ちゅうき)に生ずる者有り。本を取りて得る(うる)者有り。標を取りて得る者有り。中氣を取りて得る者有り。標本を取りて得る者有り。逆取(ぎゃくしゅ)して得る者有り。從取(じゅうしゅ)して得る者有り。逆は、正順なり。順なるが若き(ごとき)は、逆なり。
 
 だから、百病の原因は、本(六気)によるものがある。三陰三陽が原因になって発生してくるものがある。また中氣(厥陰風木は少陽、陽明燥金は太陰)が原因になるものがある。本(六気)が原因であるものは六気に重点を置いて治療する。三陰三陽に原因があれば三陰三陽の部分に重点を置いて治療するべきだ。厥陰と陽明の二つは表と裏を常に考えて厥陰は少陽に、陽明は太陰にと表裏を使って治療が出来るものがある。標と本の両方を考えて治療しなければいけないものもある。逆取(寒の病に寒の薬を、熱の病に熱の薬を処方)して治療するものが有る。従取(寒の病に熱の薬を、熱の病に寒の薬を処方)して治療するものが有る。熱で熱を治療するというのは、表面上は矛盾しているみたいである。しかし病を治療する機序としては間違っていない。だから順な状態なのである。
 
*逆取、従取の解釈はここでは、王冰(おうひょう)という人のものを使った。
*張介賓(ちょうかいひん)という、王冰より後の時代の注解者は逆取は寒薬を熱病に、熱薬を寒病に使うことだと逆の解釈をしている。熱の病態には真熱(本当の熱)と仮熱(見せかけの熱)が、寒の病態にも真寒(本当の寒)と仮寒(見せかけの寒)があると考えている。それに対して逆取、熱病に寒薬を使って真熱(本当の熱)を治療するという風にするのだと言っている。また、従取というのは熱薬を使って仮熱(見せかけの熱)を治すという風に解釈している。
*体の内側が熱で外側に寒が表れているものも有れば、内側が寒で外側に熱が表れているものも有るとして治療する考え方がある。もう一つは、体の内側も外側も無くて表れているものを治療すれば良いという考え方もある。

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*『素問』の森を歩いてみませんか。毎月休まず第二日曜です。
9月は至眞要大論篇第七十四の第五十一章からです。

 
(素問勉強会世話人  東大阪地域 松本政己)