● 日 時:平成29年3月12日(日) ● 会 場:大阪府鍼灸師会館 3階
● 講師:日本鍼灸研究会代表 篠原 孝市 先生
■医道の日本誌3月号 臨床に活かす古典 『No.59 学習』のお話より
中国の病証学といえば金元明医学、李朱医学しか無い。『素問』『霊枢』は
原理原則を勉強するには非常に重要である。『素問』『霊枢』『難経』を知っ
ていないと後代のものが読めない。後の時代のものを読めないという意味でも、
原理原則を勉強する意味でも『素問』『霊枢』『難経』『明堂』などの古いも
のはすべて必要である。しかし今の「臨床的な実践の」という意味でいえば金
元明医学、李朱医学というものを良くても悪くてもそれをやらないと治まらな
い。
■『素問』至眞要大論篇第七十四注
第四十二章より
帝曰く(いわく)、善し(よし)。之れ(これ)を治する(ちする)こと奈何
(いかん)、と。岐伯(きはく)曰く、高き者は之れを抑え、下き(ひくき)
者は之れを舉ぐ(あぐ)。有餘(ゆうよ)は之れを折り、不足は之れを補う。
佐くる(たすくる)に利する所を以て(もって)し、和する(わする)に宜し
き(よろしき)所を以てす。必ず其の(その)主客(しゅきゃく)を安んじ
(やすんじ)、其の寒温(かんおん)に適う(かなう)。同じき(おなじき)
者は之れに逆らい(さからい)、異なる者は之れに從う(したがう)、と。
帝がいう。「よろしい。では客気や主気が特別に盛んになった場合の治療法
はどういうものであるか」
岐伯がいう。「*」(注解者により解釈は違うので以下を参考にして色々と
考えてください)
*王冰(おうひょう)は、「高き者は之れを抑え」を気の盛んな状態を抑える
と解釈し、張介賓(ちょうかいひん)は、気を下すと解釈している。方藥中
(ほうやくちゅう)は『黄帝内經素問運氣七篇講解』の中で「高き」を熱気
の偏勝の状態、「抑える」を逆の薬を使ってそれを抑制すると解釈している。
*王冰は、「下き(ひくき)者は之れを舉ぐ(あぐ)」をその弱い分を助ける
ということと解釈し、張介賓は、気を上らせようとすると解釈している。方
藥中は「下き(ひくき)」を寒の気が盛んな状態、「舉ぐ(あぐ)」をその
状態を阻止する、つまり熱を加えてやると解釈している。
*王冰は「高き者は之れ(これ)を抑え」を実を寫す、「下き(ひくき)者は
之れを舉ぐ(あぐ)」を虚を補うと解釈する。張介賓はそれを気が上がって
いれば下げ、下がっていれば上げると考えている。方藥中はこれを寒熱の問
題と考えている。
*王冰は「有餘(ゆうよ)は之れを折り」をその盛んなるを屈すると、「不足
は之れを補う」をその気を全うさせてやると解釈し虚実の問題と考えている。
張介賓は「有餘は之れを折り」をその実を攻めると、「不足は之れをう」を
その虚を補うと解釈し虚実の問題と考えている。方藥中は「有餘」を熱気偏
勝、「不足」を寒気偏勝と解釈している。「折る」を熱の状態を治療するの
に寒の食べ物や寒薬を使うこと、「補う」を寒の状態を治療するのに熱の食
べ物や熱薬を使うことと解釈している。
*張介賓は「佐くる(たすくる)に利する所を以てし」を気の上り下りを順調
にしてやると、「和するに宜しき所を以てす」を食べ物や薬の味わいという
ものを斟酌(しんしゃく)して、調和させる場合は、ちょうど具合のいいと
ころを基準にせよと解釈している。方藥中は「佐くる」というのは治療上の
配合の事を言っており、「和する」は調和の和だと言う。「和するに宜しき」
というのは、ちょうど具合の良いところ、白か黒かでは無くて塩梅(あんば
い)をしなさいという風な意味であると言っている。
*張介賓は、「主客を安んじ(やすんじ)」は、強弱をみてこれを整えること、
「其の寒温に適う(かなう)」は、寒を用いて寒を遠ざけ、温を用いて温を
遠ざける事であると言っている。方藥中は、「安んじ」とは安定させること
だと言う。「主」を人体、あるいは人の体の気のこと、「客」を邪気と見て
いる。体の気と邪気との関係を主客と考え、それを正常な状態に適宜(てき
ぎ)に回復させるのだと言っている。「寒温に適う」の「適う」とはちょう
ど良い具合であることと言っている。「寒熱」は寒薬と熱薬のことだと言う。
張介賓の解釈に比べると相当に具体性を持った解釈である。
*方藥中は「同じき者は之れに逆らい」について「同じ」は病気の原因と病証
が一致している場合と解釈し、その時には逆治、つまり病証と反対の薬や食
べ物を用いれば良いと言っている。また「異なる者は之れに從う」とは病気
の原因とその症状が逆の状態の時は、熱病には熱薬を寒病には寒薬を使うと
解釈している。
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(素問勉強会世話人 東大阪地域 松本 政己)