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素問

平成28年3月素問勉強会/至眞要大論篇第七十四注 第十七章~第二十章2016.04.07

● 日 時:平成28年3月13日(日) ● 会 場:大阪府鍼灸師会館 3階 

● 講師:日本鍼灸研究会代表 篠原 孝市 先生

●『医道の日本誌』2016年3月臨床に活かす古典 「№47 老壮」のお話より
 中国医学の中で、老人と若い人について書いてあるものは、あまり多くは無い。一
番有名なのは、テレビのコマーシャルになった「女性は七、男性は八の数の倍数で体
が変化する」というものである。『素問』上古天真論に記されている。七は陽の数、
八は陰の数で、陰陽論でいえば女性は陰の体なので、陽の数の倍数、男性は陽の体な
ので、陰の数の倍数で変化するという、そういう内容である。七と八の倍数で、体が
変化するという内容はそこだけである。あるいは『素問』『霊枢』だけでは無くて、
中国の古い医学以外の古典も含めて、そこだけである。『素問』や『霊枢』の中に、
他の内容で老人や若い人のことを書いてある時は、すべて十進法で書いてあるのが普
通である。大体他の本でも十進法で書いてある。たとえば、『史記』の扁鵲倉公列伝
(へんじゃくそうこうれつでん)では20歳や30歳、40歳、50歳でからだが変
化すると書いてある。『素問』の陰陽応象大論
でも、10歳ごとに、40歳になると
体の動きが悪くなってきて、50歳になったら体が重くなって、目や耳が十分に見え
なくなって、というような風に書いてある。一番有名なのは『霊枢』天年篇という篇
で、「40歳までは五蔵は安定している。50歳から90歳まで10年ごとに、一蔵
ずつ肝心脾肺腎という順番で五蔵が虚していき、100歳で皆神気が去って(意識状
態があいまいになってきて)終わってしまう」と書いてある。
 年齢について知っておく必要のある篇が『素問』『霊枢』にあるとすれば、『素問』
の上古天真論と『霊枢』の天年篇という風に考えておけば良い。もう一つ、『霊枢』
衛気失常篇(えきしつじょうへん)に「老は50歳以上、壮は20歳以上である」という
意味の事が書いてある。これが老や壮について書いてある全てである。他の篇はちょ
っと書いてあるぐらいである。

●至眞要大論篇第七十四注 第十七章~第二十章
(*司天とは一年を60日ごと六つに分けた第3期、小満から大暑まで【2016年は5月
20日~7月22日】の期間を指す。在泉とは1年を60日ごと六つに分けた第6期、
小雪
から大寒まで【2016年11月22日~2017年1月20日】の期間を指す)
(*少陽相火が司天の時期に来る年は、寅(とら)と申(さる)の年である。在泉
は厥陰風木となる)

◯第十八章より
 少陽の司天は、火の勝つ所に淫すれば、則ち温氣流行(おんきりゅうこう)し、
金政(きんせい)平か(たいらか)ならず。民(たみ)の病い、頭痛發熱(ずつう
はつねつ)、惡寒(おかん)して瘧す(ぎゃくす)。熱上りて(のぼりて)皮膚痛
み、色變じる(変じる)こと黄赤に、傳えて(つたえて)水と爲る(なる)。身面
胕腫(しんめんふしゅ)し、腹滿ち(はらみち)仰ぎて息す。泄注赤白(せっちゅ
うせきはく)、瘡瘍(そうよう)、欬(せき)し唾血(だけつ)す。煩心(はんし
ん)し胸中(きゅうちゅう)熱す。甚だしければ則ち鼽衄(きゅうじく)す。病い、
肺に本ずく。天府絶すれば、死して治せず。
 第3期(司天)、一番暑い時に少陽の気と言うものが来た時には、火というものが
深く影響を及ぼして(火は熱の気)熱に関する自然現象が起こる。熱さというもの
が広がって、火が金を尅するという状態にな
るので、金の働きというものが起こす
自然現象に影響を及ぼす。
 一般の人たちの病は、頭痛・發熱・悪寒(寒気)がしたりという事を繰り返す。
(熱が体の中から表面に上がってきてそのため)皮膚が痛む。火熱が起こす皮膚の
色は黄赤。火の病が火に留まらず、水というものに転嫁していく。火の病が伝変し
て水
の病を起こす。顔も足の方もみんな腫れてしまう。(水の病である)おなかが
満ち満ちた状態になって、苦しそうに息を喘がせている。下痢を起こす。赤(熱の
状態)や白(水のあらわれ)の状態のものが混じる。できもの(熱の病)、咳が出
る。唾に血が混じる(血が混じるときには熱の病とみる)。胸苦しくなる。ひどい
場合は鼻が詰まる。そして鼻血が出てくる。火から金に影響が及んだために、火の
病と肺(金)の病と両方が出てくる。天府穴(手の太陰肺経に属する。部位は上腕
前外側、上腕二頭筋外側縁、腋窩横紋前端の下方3寸)にある動脈の拍動が無くなっ
た場合は、もう肺の病を越えて、肺の気が無くなった状態であるから予後は良くな
い。(死して治せずという表現は大抵予後が良くないので、それを覚悟しろという
ことを表している)
 

*次回は、至真要大論篇第七十四注 第二十一章からです。
                (素問勉強会世話人  東大阪地域 松本政己)